かなりまた期間が開いてしまいました…



前回までの甲府城巡りは鶴が舞っているように見える事から。甲府城めぐりその1鶴が舞っているよう に見える事から。甲府城めぐりその2 ・鶴が舞っているように見える事から。甲府城めぐりその3鶴が舞っているように見える事から。甲府城めぐりその4 を参照してください。






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煙硝蔵跡
ここには甲府城の火薬庫だった建物がありました。
このような建物は全国のどのお城にもありましたが、甲府城の煙硝倉跡は地下構造で特別な防湿構造を持っている珍しい遺構です。



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内松陰門
屋形曲輪と二の丸をつなぐ門です。
明治の初めまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成11年に復元しました。



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暗渠(あんきょ)
雨水などが盛土や石垣内部にたまると石垣は不安定になるので効果的に排水する必要があります。
暗渠はそのための施設です。



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石垣の構造
隅角部(石垣の角)には石垣の重みが集まるため、石材の長短を交互に組み合わせて積む算木積み(さんきつみ)という手法で積まれています。



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こちらは鉄門(くろがねもん)です。
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こちらが鉄門の説明です。

これを分で表わすのは難しかったので画像で貼り付けておきます。



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謝恩碑
この謝恩碑は、明治44年3月31日、山梨県内にあった皇室の山林を明治天皇から本県にいただいたことを記念して建てられたものです。
碑の建設は、明治神宮造営局参与工学博士伊東忠太氏および同局技師大江新太郎氏の設計により、大正6年12月から同9年12月まで三か年、当時の金額で99,528円を費やして行われました。
なお、碑の材料として使われている花崗岩は東山梨郡神金村(現塩山市)の旧皇室の山林から切り出したものです。
碑の高さ18.2mで、碑身はオペリスクと呼ばれる古代エジプトの記念碑を、また、碑台はパイロンと呼ばれるこれも古代エジプトの神殿の入口に設けられた塔状の門を形どっているものです。
謝恩碑メモ
総高…30.3m
碑身…下部約2.1m、上部約1.8mと一辺の長さが上部ほど短くなるように十個の碑石を積み(約15.8m)その上に高さ約2.4mの方錐体(ピラミッド型)のせる。
碑台…一辺約9.8m、高さ約7.4m
台座…一辺約16.1m高さ約1.1mの本台座とその下部に副台座を設ける。
敷地…東西約24.5m、南北約33.6mで面積は約823平方メートル。