またまたかなりの時間が経ってしまってすみません。

前回までのブログは鶴が舞っているように見える事から。甲府城めぐりその1鶴が舞っているように見える事から。甲府城めぐりその2 を参照してください。




過去の記憶を聞いてみよう
石切場跡
甲府城の石垣の石材はこのような岩山からも切り出しました。
岩盤の表面には、石を切り出すための、古い技術が残っています。



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数寄屋櫓跡(別称:巽櫓(たつみやぐら))
城内で最も東側に建てられた櫓で、明治初年までは残っていたことが古写真で分かっています。
今はこのように跡地しか残っていません。



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数寄屋櫓跡から見た鍛冶曲輪



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数寄屋曲輪を抜けて門を通り抜けたところから天守台と庄城稲荷跡を撮ったものです。
ここは入り口からの中間点あたりに遊亀橋から本丸へ向かう通りの中間あたり?にあたるかな。



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稲荷曲輪門
稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門です。
発掘調査によって、柱の跡などが見つかりました。
享保の火災でも焼けず、明治初年までは残っていたものを、平成11年に復元しました。



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庄城稲荷跡
ここには築城以前から、一条小山の守護とも言われている庄城稲荷がありました。
現在は移転して、遊亀橋の東側にあります。




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二重の石垣
石垣の解体調査をすると、その背後からも石垣が現れ、積み直しをしていることが分かりました。


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二重の石垣を両サイドから撮ったものです。



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稲荷櫓
城内の鬼門(北東)に位置する事から艮櫓(うしとらやぐら)とも呼ばれていて、江戸時代には武具蔵として使われていた建物です。
明治初年まで残っていたことが古写真などで分かっており、発掘調査でも2度にわたり建物を建築した痕跡と、土地の平安を祈るための輪宝(地鎮具)が 6点見つかりました。
今の建物は、この遺構や残っていた絵図や史料などをもとに、できるだけ当時の姿に復元したもので、平成16年に建築しました。


線刻画
城内の石垣石材には鳥や魚の絵や☆・×・井の記号が多く描かれています。
これは築城当時に作業の安全を願った『おまじない』と考えられています。