大阪城で以前撮影し忘れたものをこの前大阪に行ってきた時に撮ってきたので載せておきます。
いくつも丸いくぼみがあるのがあるのがお分かりでしょうか?
以下説明
『山里丸石垣の機銃掃射痕
石垣の表面に残る傷は、第二次大戦末期の空襲による被害の痕跡で、機銃掃射によってついた物と推定される。
昭和20年(1945年)3月から終戦前日の8月14日まで、大坂は8度におよぶ大空襲を受け、陸軍の中枢機関や軍事工場があった大坂城も標的となった。
山里丸ではこのほかにも爆弾によって南側石垣城部が吹き飛ばされ、北側内堀に面した石垣も数か所ひずんだが、現在はいずれも修復されている。
歴史街道』
こちらが山里丸の坂道を登らず(天守閣に行かない道)に進んだところにある祠?で、ここは大坂の陣で豊臣家が敗北した際、ここで淀君は自刃をし、またそれに伴って32人が一緒に殉死した人々の慰霊碑です。
ここには淀君や秀頼の側近として仕えていた大野治長公や子の治徳、大坂夏の陣で活躍をしていた毛利勝永公や真田大介(幸昌)公などの名前が挙げられています。
また、男性だけではなく女性の名も挙げられ、代表的な人物として大蔵卿の局(大野治長・治房などの母親)なども殉死しています。
よろしければお願いします。