先日行ってきた安居神社の他に行ってきた場所は一心寺と言うところにも行ってきました。

一心寺は大坂夏の陣の際、豊臣軍毛利勝永軍と戦った本多忠朝が討死し、そのお墓がここにあります。


過去の記憶を聞いてみよう
一心寺の入口です。

入口には二体のチョイ怖い青銅像が立っています。

以下説明

『一心寺仁王門縁起
この山門は平成九年四月、第十二期お骨佛開眼大法要にあわせて、平成七年より二ヶ年をかけて建立されました。
二王尊は彫刻家・神戸峰男氏による五メートル余の青銅像であります。
左側・口を開いている阿形像は心の邪念を戒め、右側・口を閉じた吽形(うんぎょう)像は世の乱れを睨んでおります。
扉の四人の天女は画家秋野不矩氏の原画を神戸氏が浮彫りにされました。
インドから日本にいたる佛教世界の文化を帯して少しづつ顔やお姿が違います。
インドの佛蹟では人々がその胸と腰にふれて、生命のご利益とされます。
昭和二十年に空襲で焼失した旧山門が大阪城玉造り御門の移築と伝えられ、『黒門』とよばれていたことに因んで新山門もまた今日的意匠による黒い門として復興いたしました。』


扉の四人の天女は扉が開いていたためちょっと見えにくいですね…

というより正直撮ることを忘れてきました(^^ゞ



過去の記憶を聞いてみよう
こちらがこのお寺のお目当て本多出雲守のお墓です。

以下説明

『酒封じ祈願
本多出雲守忠朝の墓
本多出雲守忠朝は徳川四天王の一人といわれた本多忠勝公の第二子で関ヶ原の戦いに武功をあげ大多喜五万石に封ぜられていたが酒を過したため大坂夏の陣において戦没した。
死に臨んで深く酒弊を悔い将来酒のために身を誤るものを助けんと誓って瞑目したと伝えられる。
爾来、酒封じの神として酒に苦しむ当人や家族の多数参拝するところとなり酒弊の除減に信を得ている。
墓碑周辺の杓文字は参拝者による酒封じ祈願墓碑は元和二年に建立されたものである。』


ちなみに安居神社と一心寺は大通りを挟んでありますのですぐにわかります。