622年4月8日(推古天皇30年2月22日)は飛鳥時代の政治家として活躍をした聖徳太子の命日にあたります。




聖徳太子は小学校の歴史の教科書にも載っているほどの有名人物なので、日本人なら誰でも知っている(むしろ知らない人がいない)ほどの人物だと思います。
また、聖徳太子は昔の日本紙幣にも使われていて、1930年に紙幣の絵柄として百円紙幣に初めて登場して以来、千円紙幣・五千円紙幣・一万円紙幣と登場し、その数累計7回と日本紙幣としては一番多く使用されたほどです。
このように長きにわたり紙幣として使用されたため、聖徳太子は『お札の顔』として日本国民に広く認識されて行きました。
特に、高度経済成長期(1958年から1984年)に発行された『C一万円券』が知られていて、聖徳太子は『高額紙幣の代名詞』として知られています。
お札の前にあるCと言う文字はお札の切り替えを意味していて、Cはお札の切り替え3回目を表わしています。
ちなみに、日本紙幣に描かれている人物は現行紙幣を含めて16名、政府紙幣では2名が描かれています。


参考までに現行紙幣に描かれた人物


戦前
菅原道真(すがわらのみちざね)学問の神様で有名。
和気清麻呂(わけのきよまろ)楠木正成などと並ぶ勤皇の忠臣。
武内宿禰(たけのうちのすくね)日本書紀などで大和朝廷初期に大臣として仕え、国政を補佐。
藤原鎌足(ふじわらのかまたり)大化の改新で有名。
聖徳太子(しょうとくたいし)
日本武尊(やまとたけるのみこと)皇子で日本書紀で八岐大蛇退治で有名。


戦後
二宮尊徳(にのみやそんとく)二宮金次郎の名で有名(こちら 参照)。
岩倉具視(いわくらともみ)明治期の岩倉使節団として有名。
高橋是清(たかはしこれきよ)日本銀行第7代総裁で第20代内閣総理大臣。
板垣退助(いたがきたいすけ)自由民権運動で有名。
聖徳太子
伊藤博文(いとうひろぶみ)初代総理大臣などで有名。
福沢諭吉(ふくざわゆきち)学問のすすめで有名。
新渡戸稲造(にとべいなぞう)東京女子大学初代学長で国際連盟事務次長も務めています。
夏目漱石(なつめそうせき)坊ちゃん・吾輩は猫であるなどの文豪として有名。
樋口一葉(ひつぎいちよう)『たけくらべ』『にごりえ』など有名で神功皇后以来123年ぶりの女性採用。
野口英世(のぐちひでよ)黄熱病や梅毒などの研究で知られ、医学研究者として活躍。

政府紙幣
神功皇后(じんぐうこうごう)紙幣で初の女性で日本書紀で三韓征伐で有名。
板垣退助



聖徳太子と言えば『冠位十二階』、『十七条憲法』、『遣隋使派遣』等が有名です。

冠位十二階は604年に制定され、605年から648年まで朝廷に仕える臣下を12の等級に分け、それぞれ色により地位を表わす冠を授けた制度です。
これを制定した理由としては

1.一つの氏族に縛られない人材雇用
2.外交使節の威儀を整えるため

と言われています。
冠位十二階は文化3年(647年)に七色十三階冠が制定されたことにより、翌文化4年(648年)に廃止されます。
これ以降は幾度かの改変を経て律令制の位階制度となり、遺制は現代にまで及んでいます。


十七条憲法は今でいう法律のようなものですが、あまりかたっくるしいものではありません。
大体の内容を簡単に書いてしまうと、『戦争をしてはいけません』とか『悪い事をせず良い事をしなさい』とか『大事なことはみんなで話し合いましょう』などのようなものです。


遣隋使は聖徳太子が小野妹子(よく間違えやすいですが、男です)を隋(現中国)に派遣し、文明の進んでいた隋からいろいろ学び取り入れようと言うのが大まかな目的です。
この遣隋使は600年~618年の18年間で5回以上派遣しています。




聖徳太子のエピソードにも有名なものがあり、とくに有名なものは一度に10人の話を同時に聞き、聞き終わった後に一人一人に的確な指示をしたという『豊聡耳』は有名です。
他には598年4月に諸国から良馬を献上され、献上された数百匹の中から白い甲斐の黒駒を神馬と見抜き、飼養します。
9月にその馬を試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子を乗せて東国に赴き、富士山を超えて信濃国まで至ると、3日を経て都に帰還したと言われています。




実は聖徳太子なのですが、最近では聖徳太子は存在してないかったのではないかと言う説が浮上してきています。
それと言うのも聖徳太子として有名な肖像画が聖徳太子とする信憑性が薄く、また日本書紀や古事記にも『聖徳太子』という名前は出てきていません。
また、聖徳太子の格好も当時の飛鳥時代のものとは違うのではないかと言う意見もあり、これらにより2014年から高校の歴史の教科書から聖徳太子の名前が消えると言われています。
これは『史実は安易に定まらない』という歴史の宿命を教えるのが狙いとされています。
こんなことを言われると歴史を勉強する価値があるのだろうか…などの意見も聞こえてきそうですね。
こういうようなことがあると歴史を嫌いになる人が増えそうですね。
歴史と言うのはその当時のトップが書き変えていったものがほとんどです。
勝者がいれば敗者も存在し、それぞれの視点から歴史を見ていくと見えない歴史も見えてきて面白いと思います。




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