前回真田丸・城南攻防戦(こちら 参照)をお話しましたが、もう少し今回は真田丸につい書いてみようかと思います。




過去の記憶を聞いてみよう
真田丸イラスト(歴史街道より)


真田丸は前回にも出てきた真田幸村によって設計された出城です。
真田丸は大坂城天守閣より南に約2kmほど行ったところにある砦で半円型に設計されています。
また、周りには空堀を掘り、中央には水堀を掘り、敵の侵入を制限します。
また、門を2箇所置き、そこを広く柵で囲んだ設計をしています。
この出丸の大きさは東西約142m、南北約221mの規模で出丸としては大きなサイズでした。
また、主要なところには櫓や井楼を設けます。
これは武田流築城術で『丸馬出』と言われ、この真田丸はそれを改善し、拡大したものでした。
半円型に作ることにより、攻め寄せる敵に対して、櫓などから十字砲火し、怯んだところを門から飛び出し攻撃する戦法を取っていました。
実はこの十字砲火と言うのはとても防御性が高く、2名で砲撃をした際、その軌跡が描く線が十字になることからこの名前が付けられていますが、お互いに支援しあうことで攻撃側が防御側陣地へ到達することはとても困難です。
また、この砲撃には死角は存在しません。
そのため、勢いよく攻め込んできても途中で壊滅することも多々あり、幸村はさらに敵が怯んだところを2つの門より打って出て、敵を攻撃します。
また、後続部隊を挑発し、さらに敵を出丸へ引きつけ、また十字砲火を行い怯んだところを打って出て攻撃してを繰り返し、相手に大打撃を与えます。
このため、後ろからから来た味方に退路を断たれ引くに引けず、また前から来た味方に進路を絶たれ、進むに進めず門の外で射撃される者が続出していきます。




これと同じ構造をし、さらに戦争で実践された場所が実は他にもあります。
それは北海道にある五稜郭です。
五稜郭は戊辰戦争最後の戦地で丸馬出をもとにして作られたと言われています。



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