鶴岡八幡宮は康平6年(1063年)、源頼義が河内源氏氏神の壷井八幡宮あるいは京都の石清水八幡宮を勧請したことから始まります。
そして永保元年(1081年)2月源義家が修復を加えます。
治承4年(1180年)10月、平家打倒の軍を起こし鎌倉に入った源頼朝は、12月に宮を現在の地である小林郷北山に遷し、以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していきます。



鎌倉幕府が開いた後は、源義家が勧請した経緯もあり、武家の崇敬を集めていきますが、正慶2年/元弘3年(1333年)鎌倉幕府滅亡後は一時衰退していくことになります。



戦国時代に入ると鶴岡八幡宮も戦火にさらされることになり、里見氏により焼き討ちにもあいますが(鶴岡八幡宮の戦い)、後北条氏2代目北条氏綱が再建を果たします。
ここでは、関東に覇を唱えた後北条氏に追われた関東管領上杉憲政越後の龍こと長尾景虎(のちの上杉謙信)の噂を聞き、永禄4年(1561年)関東管領の威厳を取り戻すため関東討伐軍を起こし、小田原城を包囲している最中、上杉憲政より関東管領職と上杉姓を相続したと言われています。



江戸時代に入ると、江戸幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂等を建築し、3代将軍徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門などが建てられていきました。
また、境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在しました。



鶴岡八幡宮の歴史はここら辺で終わらせて…


過去の記憶を聞いてみよう
鶴岡八幡宮に伸びている道にある第二の鳥居です。

中央に伸びる道は段葛と呼ばれていて、春になると桜やツツジが、夏はサツキ、秋にはヒガンバナなどが道を飾っています。


過去の記憶を聞いてみよう
第二の鳥居にある狛犬


過去の記憶を聞いてみよう
段葛を歩いている最中に人力車があったのでパシャリ。

結構鎌倉には人力車多いですよね。


過去の記憶を聞いてみよう
第三の鳥居です。

ちなみに第一の鳥居は現在では由比ガ浜あたりにあり、途中横須賀線によって道が分断されています。

また、当初は鳥居は石で出来ていましたが、大正12年の関東大震災により鳥居が壊れてしまい、現在では第一の鳥居以外は鉄筋コンクリートで復元されています。


過去の記憶を聞いてみよう
旗上弁財天へと続く橋です。

この奥に旗上弁天材社と政子石があります。


過去の記憶を聞いてみよう
旗上弁財天の橋の上からとった源平池。


過去の記憶を聞いてみよう
舞殿です。

ここでは静御前源義経を慕い、心を込めて舞った若宮廻廊跡に建ち、別名『下拝殿』とも呼ばれています。


過去の記憶を聞いてみよう
本宮と本宮へと続く大石段。

また、頂上からは空気が澄んでいれば水辺千夜伊豆大島を望むことができるそうです。


過去の記憶を聞いてみよう
頂上から見た鎌倉の街。

中央にあるのが舞殿です。


続きはネタになるので一旦ここで打ち切り…

よろしければお願いします。


ペタしてね


読者登録してね