今日8月21日は日本で初めて武家政権が樹立した日にあたります。
1192年という年号…
どこかで聞いたことあるかと思います。


『いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府』


幕府というのは征夷大将軍になると開くことができるのですが、近年では鎌倉幕府が開かれたのは1192年ではなく、1185年ではないかという説も浮上しています。
そして、1185年が今では有力だとも言われています。
1185年…
この年に何があったのかというと、源平最後の戦い壇ノ浦の戦い』があった年です。
つまり、源氏が平家を倒して源頼朝が鎌倉幕府を開いたという説です。
ただ今でもまだ1192年で学校の授業では教わっているのでしょうかね。
自分が学校で教わったのは既に10年以上前の話なのでそういうことまではわからないのですよね(笑)

そしてこの鎌倉幕府によって日本は室町幕府、江戸幕府と長きに渡り武家政権が続き、1867年徳川慶喜が天皇に政権をお返ししますという大政奉還まで続きます。

しかし、この鎌倉幕府ですが、源氏が政権を握るのは実はすごい短い期間だけです。
頼朝は1199年1月に突然死去してしまいます。
跡を継いだ嫡男源頼家ですが、当時18歳と若かったため、幕府の有力者たちは政権を任せられないとし、有力御家人が政務と裁判を執行する十三人の合議制と呼ばれる政治体制を築き上げます。
しかし、その中の北条氏がことごとく他の御家人を滅ぼしてしまい、事実上北条氏が鎌倉幕府で力をつけていくことになります。
さらに源氏を名乗る人も源頼朝頼家実朝の3代で終わります。
源氏が途絶えたことにより、さらに北条氏は勢力を伸ばしていき、北条氏は鎌倉幕府で大々的に表舞台に立つことになりました。

そして後に鎌倉幕府が開かれてから約80年後モンゴル帝国5代フビライ・ハーンに攻められたりして(元寇などがあり、幕府は衰退していき、1333年滅亡してしまいます。


余談ですが、戦国時代に小田原で勢力を拡大していった一族にも北条氏と名乗っていましたが、こちらに関しては鎌倉時代の北条氏と区別するために『後北条氏』と呼んでいます。
そしてこちらが北条と名乗ったのは2代目北条氏綱の時で、初代北条早雲は伊勢と名乗っていました。