今日1575年6月29日は天正3年5月21日にあたり、この日は織田・徳川連合軍が当時最強と謳われていた武田騎馬団を倒した長篠設楽原の戦いのあった日にあたります。
この日に武田家は多くの優秀な家臣団を失うことになってしまいました。
武田四名臣(四天王)のうち馬場 信房、山県 昌景、内藤 昌豊が打ち取られたり、また二十四将に広げると三枝 守友、原 昌胤、真田 信綱、真田 昌輝と多くの優秀な人物を失ってしまう事になってしまいましたしょぼん


今日は仕事の関係上行くことはできませんでしたが、27日に先取りして真田 信綱公、信綱夫人、真田昌輝公の墓が建立されている信綱寺にお参りに行ってきました。
実は信綱寺に行く時入口がわからず、丘の下を行ったり来たりしてかれこれ20分ぐらい彷徨っていました(笑)
あらかじめ地図をネットでコピーとってそれを手に向かってたんですけど、入口の途中の門が工事中で通行止めになっていたり、信綱寺の入口らしき門があったので入ってみたらけもの道だったり…笑

かれこれ彷徨い続けやっと信綱寺へとたどり着きました…(^^ゞ
そして信綱寺本堂へと赴きしっかり屋根のところの六連銭拝んできましたよ~♪
ありがたやありがたや。
ここには長篠設楽原の戦いで信綱公が着ていた陣羽織(信綱公の首を包んできたため血染めになっていますが)などが祀られています。
ちなみに陣羽織とかは事前連絡をするとみる事が出来るみたいです。
血染めの陣羽織なんて見たらきっと涙を流しちゃうんだろうけど…
そして本堂への階段からわかれた坂道を登っていくと信綱公、信綱夫人、昌輝公のお墓があります。
今回の目的はお参りだったので手を合わせて冥福を祈ってまいりました。
六連銭をかたどって5円玉6枚納めていこうかと思ったけど…
大事件が発生しました…
5円玉6枚なかった(笑)
しぶしぶ諦めお墓の階段の下で一礼して信綱寺を後にしました。


信綱寺の麓には歴史の丘と言うところがあり、ここには真田家の歴史を表わされています。


マコトのブログ-歴史の丘
                   歴史の丘を正面から撮ったものです。

マコトのブログ-歴史の丘説明図

                   歴史の丘の説明図です


こうしてみるとまた違った歴史が見えてきそうですね。


そうそう、ここは真田発祥の郷と言われていて、結構ここには真田の名前が多いのですよ。

真田運動グラウンドのところに川が流れていて、そこに橋がかかっているのですが、その橋は幸村橋って呼ばれているみたいですし、国道144号線は別名幸村街道と呼ばれています。

幸村街道を歩いていたら居酒屋幸村っていうお店もありましたね。


ここには8月に真田まつりがあるのでまた来る予定ですが、バスが少ないということに結構驚きました(笑)

今度はバスのことも考慮しないといけないな(^^ゞ

上田はいいところなのですグッド!