なぜ芸文は写真バージョンではなくて文字バージョンだったのか。

 

ネタバレしてます。

【あらすじ】
89年6月4日、民主化を求める学生を中心とした一般市民と中国政府が、天安門広場で衝突した。
そこに居合わせた19歳のアメリカ人ジョーは、買い物袋を両手に下げた一人の男が戦車の前に立ちはだかる様子をカメラに収め、その写真は“戦車男=タンクマン”として世界に衝撃を与えることになった。
それから23年後、中国人の旧友ヂァン・リンから、“タンクマン”にまつわる衝撃の事実を聞かされたジョーは、彼の軌跡を追い始める。
(公式サイトより)

2014年ローレンスオリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞受賞作。
若き脚本家ルーシー・カークウッドと栗山民也さん演出の組み合わせは「チルドレン」に続いて二度目。
「チルドレン」はBSの放送で観ましたが演技が巧みな役者さんの力もさることながら戯曲の持つ力がすごく大きいなと感じました。
今回の「チャイメリカ」も戯曲の力の強さがすごかった。
ルーシーは1984年生まれということで今回の主演田中圭くんと同い年、才能に嫉妬すると彼も言うわな(笑)。

天安門事件がテーマということでしたが、当時はテレビの中ですごいことが起こっているというあくまでも異国の出来事としか捉えていなかった。
この年はベルリンの壁崩壊や日本では昭和から平成に変わったりと変化の年だったなという印象でした。
なので取り急ぎ予習をしておこうと天安門事件についてのドキュメンタリーを読んでおいたのですがその当時の空気を少し感じられたのは良かったのかな。
特別な人間が起こしたものではないということ、みんな普通の人間だったということも。

1幕1時間45分、2幕1時間15分という長い芝居。
「チルドレン」もだけど序盤は徐々に話が進んでいくのですが、映画の様な場面転換で飽きさせることなく(ちょっと場面転換多いのと音楽が気になったが)、終盤一気に畳み掛けたのが見ごたえありました。
正直戦車男の正体はそうだろうなというのがよめたが(というか観る前からよめたが)、なぜあそこにいたのかなぜ紙袋を持っていたかの伏線回収が見事。
そしてこの戯曲の秀逸なところは戦車男が2人いたというところ。

ジョーが探していたのは戦車の前にいた男、もう一人の「戦車男」は戦車に乗っていた兵士であり前者の戦車男を轢けなかった男。
中国人の視点と西洋人の視点の違いを感じ、この戯曲の悲劇性を強く感じさせるところであった。
「あなたは何も見えていない」とジョーにヂァン・リンは言うが、それぞれ見ているものが違っていたからこその悲劇。

まあ、しかし圭くんが自分の役を「電話に出ない奴」と言った通りそれに尽きるのだが(苦笑)。
ジョーさえきちんとそれぞれ他の人達に対峙していたら違う結末を迎えたはずなのに。
ジョーはジョーなりの正義があったんだろうが周り皆を不幸にするクラッシャーぶりがなんとも言えない。
ある意味この舞台の中でいちばん自分に正直な人ではあったのだが。
いい意味でも悪い意味でも少年のままだったんだな。
だからこそちゃんと主役に見えました。

東京公演の前半の感想を読む限り、完全にヂァン・リン(満島真之介くん)が主役のようだったが、今回の圭くんは的確に周りを動かす演技と佇まいは唯一無二であり、真似できない不思議な存在感があった。
この共感できない主人公が主役たる説得力が田中圭にあった。
回を重ねることによって完成度が増したんだろうと感じた。
また、相手役の力をマックスに引き上げる力が強いと改めて思う。

今回の真之介くんといい、牧くんをあれだけ魅力的に演じた遣都くんといい。

その真之介くんですが評判通り圧巻の演技でした。

毎日これだと本当に魂削られるだろうというくらい。
沖縄出身でありまた西洋の血が入っているというルーツも影響あるだろうか。
真之介くんありきの舞台であったと思います。
しかし、ヂァン・リンは妻を亡くしてから1989年で時が止まっていたのだろうか?
妻役の瀬戸さおりさんも印象に残りました。
彼女の使い方がアドルフでのオリキャラである小此木さんっぽい使い方だなと感じた。

舞台全体を通してアメリカが中国を文化的に(スタバやナイキなどがキーワード)包括し、逆に中国がアメリカを経済的に包括していく様がタイトルの「チャイメリカ」につながっていたように思う。
他国での公演ではわからないが日本の観客はそこから外れているテスにいちばん近いはず。

しかし、テスが結局何を求めていたのかがわからず。
プレゼンでのシーンではテスの成長を感じたが、栗山さんが演出するヒロインはどうにもつかみどころがないというイメージ。
倉科さん自体はいい女優さんだと思うが、今回瀬戸さんの方が印象的。
唯一のイギリス人であるテスは作者を投影している役だと思うのでそう言った意味では少し弱いなと感じた。
そんな彼女が赤十字のくだりで激昂したのが印象的だった。
そこまで怒らなくてもと思うくらいだったが、何も求めないということを求めていたのか。
傍観者である傲慢さはある意味観客にも「自分たちはどうなんだ?」と突きつけてきていると感じた。
この舞台の中でいちばん印象的なセリフは「お前たちは東側でも西側でもない」というものだから余計に。

眞島さんが花屋さんなことに1幕で気づいていなかった(笑)。
中国語うまいね(中国語わからないけど)。
この一人二役なのが大きな意味を持っていることに終盤気づかされるが、どちらの役もこの舞台の中でいちばん共感できる役だった。

メインキャストだけではなく、それぞれのキャラクターが今までどう生きてきたかどのように考えているのかという背景が見える点が良かった。
ちゃんと登場人物が生きている。
サブキャラのスピンオフも観たくなるくらい。
圭くんの他には大鷹さんと石橋さん以外の人は皆はじめましてだったけど本当にそれぞれ良かった。
大鷹さんの存在感と石橋さんの手堅さも含めて。
前回観た「サメと泳ぐ」は脇が弱いと感じたので余計にそう感じた。

先に手に入れていた戯曲は帰ってから一気に読み終えました。
カットしていたり微妙に変えているところがありました。テンポを重視したのか?
また、ニュアンスの違いもあるだろうから原文で読んでみたい気もする。

翻訳劇だからかここはアメリカでは笑い(といってもくすっと程度だが)を取っているだろうけどピンとこないところがあった。
「ヒラリーのクロゼット」「ベジタリアン」など。
「歯が白い」などアメリカへの皮肉が多いのが作者がイギリス人だからか。
「国連の予約」はおそらく文脈からして隠語だろうなと思ったが後から検索したらそういうことだったみたいで
日本人にわかりにくいところも多々あり。
アメリカパートよりも中国パートの方が入り込みやすいのは同じアジア人だからかもしれません。
ジョーとテスのイチャイチャとヂァン・リンの拷問の対比が残酷な程対照的だった。

色々疑問なことはあるが、ジョーとヂァン・リンはいつ知り合い、いつ友達になったのだろう?
これがいちばんの疑問。
おそらく事件後なのだろうが、ジョーがあの写真を撮った人間であることを知って近づいたのだろうか。
裏切られても(ジョーは裏切っている感覚がまるでないのがまた残酷)そこまでジョーにグァンシーを感じていたのはなぜか?
また、ジョーはヂァン・リンのことをどのように想っていたのか、彼を助けるために結婚まで申し出るということは彼なりに救いたいという気はあったのだろうが。

そしてカメラマンとしてジョーが23年間どのように過ごしてきたのか、彼がある意味いちばん謎な気がする。
子供を持つ気のなかった彼がいざ子供が出来た時にこれからどうするのか?

色々考える余白のある作品でありました。
今年のマイベスト作品になるかもしれません(まだ今年2作品目w)。

カテコは5回ありました。最初はみんな役から抜けきれず硬かったけど、4回目で圭くんにこにこ両手お手振り。

可愛すぎて罪~!

5回目は真之介くんも眞島さんも倉科さんも同じようににこにこ両手お手振りで可愛かったです。