◎ときにできない理由を親のせいにしたり親を隠れ蓑にしたり~蔦田塾1日目③ | 楽円☆まぶや~*ゆきみかん

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蔦田塾~幸せな女性起業家育成講座1日目


写真は約2年前の発辰詣り@住吉大社

嬉々として真っ先に

一寸法師のお椀に乗り込む塾長が印象的でした




上矢印上矢印上矢印

よく『いろんなのに行くよね』

と、言われますがそうでもないと自分では思ってます

何かを学ぶときは比較的長いスパンで行くので

もしかしたらそううつることはあるかもしれません

講座が終了しても

またすぐに上手くいっていなかったときの

おそらく自分にとってはやりやすい元のやり方戻ってしまうので

軌道修正には第三者や先人の視点が

どうしてもわたしには必要です

親のせいにしたり親をうらんだりな色々

二十歳くらいまでは親を恨んだりしてました

あ、就職するまでやしてからも

油絵を勉強しましたが

とうぜんそれで食べていけるはずはなく
(美術の先生や学芸員などになることができれば…←が、そちらに興味なし(笑))

親は教員になってほしかったらしいですが
(教職をとる約束で私立の美大に行きました(笑))

ふつ大(普通の大学)の教育学部系でもないかぎり

学科を勉強しなおさないと教員採用試験は無理(笑)

問題集買ったけど、高校生のときだったらまだできたかもな、内容

しかも

埼玉県は採用試験に当時水泳試験50メーターつき
(今は知りませ~(  -_・)?)

東京都は倍率が高い

と、やる前からできない理由を探すわたし

と、いうことはなりたくないしやりたくない(笑)

本当になりたかったら頑張るはずだし

と、自問自答し

紆余曲折曲折曲折曲折曲折曲折曲折

省略

たくさんたくさん曲折して今の私です

教職過程を先行したから

友人が遊びに行くときに授業があるからいけない

→話があわなくなる

→ただでさえ少ない友人が減る
(今思うととっても小さなこと)

画材費かかるから、バイトもする

今よりも働き者だったかもしれません(笑)

が、周囲は裕福なお家の子ばかり

ほとんど就職せずに、しばらく海外にいくとか

(親のお金で)個展ひらくとか

みんながみんなそんなはずはなかったんだろうとは思いますが

ま、油絵いったからです(笑)

デザイン科は普通の家の子が多いと同じ高校から同じ学校へ進んだ友人が言っていたので
(デザイン科はもちろん就職できないと意味がない科←油絵や日本画や彫刻科からみると)

そんな話しはおいておいて

わたしはいわゆる

インナーチャイルドワーク的なメソッドやツールやワークが大嫌いです

スピリチュアルを学んでいく過程で

ワークはたくさんしてきました

でも

ワーク中にぼろぼろ泣く人続出だったり

ペアワークで親に対する恨み辛みを聞かされても


なに甘えてんだろう?
しかも(自分も含めて)
いい年してさ

いつまでも親のせいにしたってなんにも解決しないじゃない

と、冷めた視線しか送ることができませんでした

聞いていくと

自分こそ親よりひどかったり言えなかったり
(わたしが学んだワークは基本的に相手を否定せず傾聴で事実を聞きジャッジしないスタンス←だからワークがストレスだったり(笑))

なのですが


塾長から

『みかんちゃん色々周りを気にするけどなんでなん?結構気ぃ使うよね?』

『気の使い方がずれていてからまわりします。そして誤解されます(誤解されるのも自己責任と思ってます)』


『親にはこんな自分で申し訳ないなと思ってます』 

『例えば?』

『美術を学んだけれど(しかも結構お金がかかっている)何にもいかせていない』

何者にもなれない自分
親の期待に応えられなかった自分
従姉妹や従兄弟にくらべると
社会的地位やポジションの視点から
徹底的に劣っている自分
お堅いポジションにいる人間からみたら
底辺にいる自分であることが
ただただ申し訳ないと思っていて
どこかで喜ばせてあげたかった自分が
まだいたんだなと…

『それは言い分けだから』

『ええっ❓❗これが言い分けという認識がありませんでしたー

つづく