『わかるをやめる』ことと強み★ | 楽円☆まぶや~*ゆきみかん

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松原靖樹さんの『ほぼ日コラム』~わかるをやめる~から全文抜粋★

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強み、の話になったとき、強力な種類の強みとして
「わかる」という強みがあります。
理由説明とか、なぜそうなったのかは全然わからないけど、
とにかく答えや結論がわかる。
強みの見方では直感や感受性でわかるというのがここに含まれます。


分かりやすい例なら、
夢で未来を見たとか、飲み会で楽しそうに話している人を見て
「でも心で帰りたいと思っている」とわかるとか
強み分析や観察をしていると、そういうことはよくあることで
全く珍しくありません。


それを信じがたい人はよく「何でそんなことが言えるんだ?証明してみろ」
的発言をすることがあるけども、本人もその理由が全然分かっていないばかりか、
そういうことができること自体に自覚がなかったりするので
説明などやろうと思っても、全然まったくこれっぽっちもできないわけです。


すると、「ウソだ」とか「信じない」となるわけですね。
本人は論理的、科学的に考えているつもりなんだろうけど、
結果がそのようにできているという現実があるのに、
説明がないから否定するというなら、それは全然筋もとおっていないし、
科学的な考え方でもありません。



「だってわかるものはわかるんだもん」的強みの、強度はかなり高いところにあって
それを発掘すると自分をどのように生かすか?ということが分かっていいのだけど、
実際に生きていく上ではそれよりも必要で強い強みというものがあります。
それが、結果を生み出すことができる強み。


どんな結果をどのように生み出すかは、それこそ人によって違うので、
内容についてこうだとは言えない。


だけどもはっきり言えるのは、
分かる強みよりも、結果を生み出す強みの方が重要であるということです。


もちろん分かるからこそ、物事をうまく運ぶことができたり結果を生み出すことが
できることもあるし、分かるだけで十分OKな物事もあります。
それでも言えるのは、分かる強みよりも、結果が生まれる強みの方が
自分自身にとって重要です。
こんな風に言えます。


もし未来・・・たとえば明後日や3ヶ月後にに何が起こるのか分かるとして、
その物事が本当に起こるという現実がもうあるのなら、
分かっても分からなくても、その物事は起こるわけです。
もし、飲み会で楽しく話している人が心の中で「早く帰りたい」と思っているのが
わかるとして、だからなんだ?の部分で「だから・・・・でもどうにもできない」
ということはよくあるわけです。
なら、分かっても分からなくても結果は同じでした、ということになります。
分かったところであまり意味ないということは実際によくあります。



理由などさっぱりわからないが、こういう結果をいつも出していますという
強みがあるのなら、その強みは最も注目するべき強みです。
「何かを生み出さなければ自分に価値などない」ということではなくて、
気がついたらちょちょいのちょいって、できてしまっているし
・・・・みたいなのが注目ポイントです。


なぜか分かることの方をより重視すると、
「明後日起こることを当てた。信じられる人だ。・・・神か?」みたいな
キモチ悪い信仰によって物事を進めるようになってしまいます。
分かるものは分かるんであって、でもそれ以上のものではない。
漆塗りの専門家は漆のことをよく分かっています。
ゴルフの賞金王はゴルフのことをよく分かっている。
たったそれだけのことです。分かっていることはすごいけども、
ただそれだけのこと。


それよりも、相手や自分が理由など分からなくても、
とにかくどのような結果がついてきているのか?という現実をもっとよく知ると、
見せかけにだまされたり、自分は何もできない人間だと自分を過小評価したり
することはなくなります。



よく、話すことに車が運転できるかどうか、というのがあります。
車を運転できる、行きたいところに行けるとして、
そんなことは珍しいことでも特殊なことでもない。
実際に運転でき、目的地にたどり着くことがわれわれの日常で重要な
ことであって(それを理解していて)
エンジンやメカニック系がどのようになっているから車が走るのか?
を分からなければ車は走らない、信じられない、動くわけがない、
というような捉え方は誰もしない。


事実、どういう結果になるのかの方が、理由や証明よりも
はるかに大切だということです。





松原靖樹