前回の記事にも、たくさんのいいねとフォロー、
ありがとうございます。

ゼロさんやでこさんや曽根俊矢さんや
花子さん方々を含め、応援して下さっている
たくさんの方のお陰で、また気持ちを
持ち直すことが出来ました。

前進したかと思ったら
また後退したり…の日々です。
また気持ちがまとまりましたら
書いていきたいと思います。




🌷




実は先日、祖父のお葬式がありました。

母方の祖父で、母が独身時代に入会し、
その後に祖父と祖母と伯母に折伏し、入会。

母が結婚し家を出て、伯母夫婦が祖父と祖母と、
従兄とさらにその従甥従姪と
賑やかに暮らしていました。


その中で、学会員は祖父と祖母と伯母のみです。
入会しつつも、活動家なのは母だけでした。

伯母は現在闘病中で自宅療養しており、
少し認知も出てきており、
自分の意思はあまりない状態のように
見受けられます。
学会員という自覚はなさそうです。
伯母の夫もその子供も未入会です。

祖母は2年前に亡くなりました。
籍としては学会員であるため、
地区の導師と私の父による創価の家族葬で
執り行われました。

自分たち(ゆきみだいふく一家)しか
お題目をあげられないのだから、
大きい声で唱題するんだぞ、
と父に言われ胸も声も張って勤行唱題しました。

当時は、周りの人達(親戚一同)にも、
創価がこの世で一番素晴らしい、
唯一の正しい宗教だとわかって貰えるように、
凛とした姿で唱題しよう!と
心がけて行いました。

亡くなった祖母との思い出や
感謝の気持ちなどを想い
お題目をあげていると、
たくさんの涙が出てきました。

おばあちゃん、ありがとう。
成仏してね。
そして、今度は私の子供として
生まれ変わってきてね。

そう祈りました。




そして今日より約5ヶ月前に私は覚醒。

そして先日、祖父が亡くなり、
また2年前とほぼ同じメンバーにて
お葬式がありました。

行く前に、とても考えました。
私は覚醒してしまったし、
もう創価を信じられない。
創価は宗教だと思えない。
そして母にはもう学会活動はしないと
言っています。

ですが、今回の主役は亡くなった祖父なので、
祖父の為に唱題しようと、
5ヵ月ぶりにお題目をあげました。
教本を見なくても、身に染みこんで
いるものですね。
スラスラと出てきました。


2年前の光景とは全く違って見えました。


御本尊に向かって大きな声で
真剣にお題目をあげる父と、
涙を堪えながら懸命にお題目をあげる母。
そして、非活ではあるが、
創価の教えを信じている妹の堂々としたお題目。

厳粛で人生で一番尊い時の場で
こんな事を考えていた自分が情けないのですが… 



とても悲しかったです。

そして、とても悔しかったです。
 


幸せの為にと創価にたくさんの
時間とお金を費やしているわたしの両親と
妹を不憫に思ってしまいました。
顔が見られませんでした。

こんなことを言ってはいけないのは承知です。
親不孝でごめんなさい。 
 
今はまだ信じてた方が幸せだと思うので、
家族の気持ちを尊重します。
でも、できればいつか気づいて、
人生の最後の時は、自分の本当に大切な事に
お金と時間を使って欲しい。

創価は憎いけど、こんな綺麗な心を持っている
両親の子供として生まれてこれて幸せです。




…ちょっと自分の親のことを
持ち上げすぎでしょうか?
こんなこと面と向かって言えないので、
ここにて吐き出してみました。



私は脱会が目標です。
できれば創価に関わりたくないです。
しかし、今は未だ出来ないと思います。

また今からは、彼のご家族へ向けて、
双方の家族を守りながら、
どう折り合いをつけていくか…
泣くのではなくて、計画を立てていきます。





おじいちゃん、おばあちゃん、
創価を信仰してて、幸せだったかな。
それとも、辛いこともあったのかな。
よくわからないまま、創価だったのかな。

わたしは、創価とか信仰とかに
幸せにしてもらおうとせずに、
自分の力で幸せになっていこうと思うよ。




今日は1つの節目として、最後
詩のように記して終わります。