みなさん、こんばんは。


あと数時間で2021年も終わりますね。


皆さんにとって今年はどんな年でしたか?


私は、命の『ありがたみ』を痛感した年になりました。


以前、少しだけお話しましたが…

今年5月6日の夜中、母は家で急に『具合が悪い…頭が痛い…』と言いながら倒れました。

そのあと痙攣し、目を開けたまま息もせず動かなくなりました。


私は慌てて救急車を呼びました。

でも、もう怖くて不安で…

ただただ救急車を待ってました。


救急車はすぐきましたが、受け入れ先の病院がなかなか見つからず、母は救急車の中で待機している状態でした。

でも、その間に母が目を開け、話しかけたらうなずくことは出来ました。

そうしてる間に、やっと受け入れてくれる病院が見つかりました。

病院に着くと、小さな個室で待つように言われ、その間母はまずコロナの検査をされました。

このご時世なので、コロナの検査をしてからじゃないと他の検査も手術も出来ないと言われました。


そして、検査の結果が出ました。


『くも膜下出血』


くも膜下出血は、発症時に即死する人が10~15%、手術をしても死亡する人が20~30%といわれ、非常に命の危険性が高い病気だと説明されました。


思ってもいなかった病名に、ただただ驚くばかりで、そのあとものすごい不安が押し寄せてきました。


そして、そのあと出血したハッキリとした場所を調べてからじゃないと手術が出来ないと言われ、その検査結果を聞くまでに2時間。

こんなに待たされて、手術するのがどんどん遅くなったら、母はどうなるんだろう?とまたまた不安になりながらも、ずっと待ってました。


そして、やっと手術ができることになり、なんとか手術はうまくいきました。

あとから聞いたら、母の状態は手術が出来るギリギリの状態だったそうです。


術後、担当の医師からは手術が大成功したと聞き安心しました。

でも、そのあと【くも膜下出血】という病気は、術後2週間は脳血管攣縮期(スパズム期)といい脳の動脈が栄養不足のようになりどんどん細くなっていきます。この時期に脳梗塞や水頭症などになる可能性があり、とても危険です。と説明され、またまた不安になりました。


そして、手術の翌日…

早朝に病院から電話がきました。


母が意識ないまま脳梗塞になったと聞き、なんでそんなことになったのか、理解できなくて頭が真っ白になりました。

その数日後にも、また意識が戻ってないのに、検査をしたらまた他の場所が脳梗塞になってしまったと連絡がきました。

その後も脳の中の状態が悪くなってきて、頭蓋骨に穴をあけてまた手術をしなくてはいけなくなりそうだと言われ、本当にショックでした。


このコロナ禍で病院は面会禁止。

母とは会えない日々が続きました。

会えない間にもし母が…と怖いことを考えてしまったこともあります。


でも、なんとか頭蓋骨に穴をあける手術はしなくて良くなり、徐々に脳の中も落ち着いてきました。


母が入院し会えなくなって41日目、やっと母と会えました。

今度は地元のリハビリ科がある病院に転院が決まったので、その移動の時数時間だけ久しぶりに母と会うことが出来ました。


やっと会えた喜びで、本当に本当に幸せでした。

でもその時、母が脳梗塞の影響で右手右足が動かなくなったことと、『失語症』になり、全く言葉が話せなくなった母の状態を確認することとなりました。


でも、転院先でリハビリを頑張れば改善されていくと信じ、グッと涙をこらえました。

しかし、母は面会出来ないことが理解が出来なくて、私に捨てられたと思ったのか全くリハビリをしなかったのです。

ご飯も食べないので、胃ろうになってしまうかもと言われ、またまた不安と恐怖に押し潰されそうになりました。


でも、オンライン面会や、手作りご飯の差し入れを許してもらったり、DVDに応援動画を録画し、それを母に見せてあげて下さいとお願いしたり、毎日毎日母に手紙を書き、それを看護師さんに母に読んであげて下さいとお願いし、直接会えなくても出来る限りのことで励まし続けました。


その気持ちが通じたのか、母は徐々にリハビリを頑張るようになりました。


母が足に装具を付け杖をつき、ゆっくりだけど歩いてる姿を見た時は本当に感動しました。


そして…12月13日、母は長い入院生活を終え、やっと我が家に帰ってきました。


今も右手は動きません。

だから、トイレや食事、着替え、お風呂など手伝わないと、母は一人で何も出来ません。

言葉も『うん、ううん』とか簡単な単語を7~8個言える程度で、ほとんど喋れません。

だから、何を言いたいのか理解してあげられない時もあります。

でも、仕事がお休みの時はなるべく在宅介護をし、母のそばにいると決めました!


お仕事の時は、デイサービスやショートステイなどを利用しながら、これからも母を支えていきたいと思います。



人はそれぞれ色々な人生があると思う。

苦労した分だけあとで幸せが待ってるよ!と優しく言葉をかけてくれる人もいる。

でも、本当にそうなるのかなんてわからない。


もしかしたら、私が気が付かない間に誰かを傷つけていて、今その罰を受けているのかもしれない。


でも、そうだったとしたら、母ではなく私を病気にしてほしかった…と思う時もあります。


こんなに苦労して生きてきた母に

どうして神様は罰をあたえたのですか?

どうしてこんな風にしてしまったのですか?

と聞きたくなる時もあります。


考えても後悔しても仕方がないし、何も変わらないけど…

でも、あの時こうしていたらとか色々考えてしまう自分がいます。


私がこんな状態では、母が頑張れなくなっちゃうから、もうネガティブな心は捨てて、明るい未来を夢見て頑張るしかない!


本当にいつかこれ以上の幸せが待ってるのだとしたら、それを掴みにいかないと!




本当は、母のことはずっと書くつもりはなかったんです。


でも、さっきあまり喋れないはずの母が、初めて長めの言葉を発したんです。

それも悲しい言葉を、泣きながら…


『私なんて死んじゃえば良かったのにね』って…


なんで、そんなこと言うの?

右手が動かなくなたって、言葉が喋れなくたって、生きててくれただけで、本当に有り難いよ。

生きてうちに帰ってきてくれて、本当に有難う!

と泣きながら母を抱き締めました。


でも、母は数日間の私の介護してる姿を見て、申し訳ないという気持ちで一杯になってるみたいで、ずっとずっと泣いてました。


確かに初めての介護は、経験したことがないことばかりで本当に毎日が勉強だし、気を抜いたら母が怪我したりしてしまうかもしれないし、大変と言えば大変です。

でも、ケアマネージャーさんに相談しながら、うまくこの生活に慣れていけるように頑張ります!



母が生きて、そばにいてくれることに

ただただ感謝したい。




大晦日に、こんな長いブログを書いてしまいごめんなさい。

そして、最後まで読んで下さり

本当にありがとうございました。



それでは、よいお年をお迎え下さい。





           花咲ゆき美