橋本院(奈良県御所市高天) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


昨日の続きですニコニコ


高天彦神社から市道(葛城古道、道幅狭いです)を北へ行くと分岐があり、 右(北東)に曲がると橋本院の参道があります(生活道路を兼ねているので、通行には十分注意してください)月見


葛城古道月見

ここに来て初めて葛城古道の存在を知りましたびっくり

参道の石碑月見




参道月見




高天原の石碑・万葉集・葛城三十八景月見

ここを過ぎると橋本院が見えてきますニコニコ

遠景月見

橋本院『高天寺橋本院公式サイト』『八幡神社展望台説明板』より


高野山真言宗の寺院。山号は宝有山。寺号は確認できず。本尊は十一面観音菩薩。


公式サイトによれば、創建は養老2年(718年)に行基上人が高天山登拝のため、この地を訪れた際、この地が霊地であることを感じて精舎を建立したことに始まる。行基上人の功徳を仰いだ元正天皇は高天が霊地であることに知り、寺地を与えて十一面観音菩薩を造ることを許したと云われる。


天平13年(745年)、聖武天皇が発病した折、病気平癒祈願をし、天皇より「宝有山」の山号を賜る。また、孝謙天皇の帰依や唐より渡海した鑑真上人が住職に任命されたことも重なり、高天千軒と呼ばれる格式の高い大寺院で金剛転法輪寺七坊の1つとして石寺、朝原寺等と共に権威を誇った寺となる。


しかし、南北朝時代に至ると、高天寺の高天行秀らが、南朝方として秘かに支援していた事が北朝方に漏れ、畠山基国や高師直らに攻撃されて悉く焼き討ちにされ、橋本院を除く全ての寺院が焼失。その際、高天寺本尊であった十一面観音菩薩像が持ち出されて戦火を免れ、橋本院の現在の本尊となる。時を経て、延宝5年(1677年)、頼勇上人が高天寺の子坊として、橋本院を再建して現在に至る。


八幡神社展望台説明板⛩️

山門月見

十三仏月見

弘法大師像月見

十三仏の左隣にありますニコニコ

庫裡月見

大師堂月見 

山門の左隣にありますニコニコ

石灯籠月見

本堂前に左右一対ありますニコニコ


本堂(観音堂)月見

大師堂の右隣にありますニコニコ

由緒書月見

本堂脇にありますが、錆びついてしまっているので読みにくいです。公式サイトのほうで確認したほうが良いかと思いますニコニコ


小社⛩️

本堂の右側にありますニコニコ

境内月見

鐘楼月見

本堂の右側にありますニコニコ

慈思堂(納骨堂)月見

鐘楼の右側にあり、橋本院で比較的新しいお堂ですニコニコ

境内月見

葛城古道は境内を抜けて山道から吐田極楽寺のほうへ抜けて行きますニコニコ

境内は狭いです。駐車場は高天原の石碑に面したところにありますウインク

この後、少し南のほうへ向かいました照れ