おはようございます(´・ω・`)
昨日の続きです
妙見社から少し町道を東へ走ると左側に能仁寺の参道があります
能仁寺『紀伊続風土記』より
救世観音宗の寺院。山号は雁蕩山。奥の院は霊巌寺(無宗派(『納骨堂info(寺院検索サイト)』に記載なし)の寺院)。
旧在田郡廣荘名島村にあり、『紀伊続風土記』に「眞言宗古義名草郡紀三井寺末。村の巽三町許にあり、後村上天皇勅願寺なり。開山を三光國済國師覺明といふ。覺明は平氏奧州會津郡の人也。當寺舊は禪宗にて梵字も多かりしに天正十三年三月豊臣氏南征の時兵火に罹りて梵字殘らす焼失し、後眞言の僧住持して眞言宗となる。藥師堂一宇僧舎一宇あり。正保三年九月藥師堂再興の時、藥師如来の胎中より出たる書附あり、
大日本國南海道紀伊國在田郡東廣山能仁寺住寺覺明當寺開山大檀那
後村上天皇勅願所
奉 行 湯淺八良右衛門入道
掌作事 氏藤原宗永
正平六辛卯九月十二日功了
とあり、又當寺より東三十八町に奧の院あり、補陀山靈巌寺といふ。今廢せり」と記され、焼失前の伽藍の記載もあり、山門・佛殿・法堂・多寶塔・観音堂・禪堂・開山堂・ 經藏・食堂・鎮守・方丈・庫裡・寮舎・浴室・鐘樓・十八坊(道念寺・龍花寺・明白庵・多寶寺・圓明寺・妙光寺・蓮開寺・弥勒寺・性壽寺・禪昌寺・寶相院・三學院・證心院・寶光院・地藏院・中之坊・法輪院・眞珠院)が建立されていたと云われる。
衰退したとはいえ、これだけの由緒のある大寺ですから、何とか再建して欲しいものですね~
境内は狭く、指定の駐車場はありませんが、軽自動車ならギリギリ境内に入れます。困難な場合は交通の妨げにならない場所に置かれて、歩いて行かれるほうが良いかと思います
この後、南のほうへ向かいました