おはようございます(´・ω・`)
昨日の続きです
最寄りの場所から辿ります
福王寺から市道を南東へ道なりに走ると左側に中将が森(観音の森)があります
中将が森(観音の森)『紀伊続風土記』『境内由緒書』より
由緒書によれば、中将姫は自分の身代わりになった人々の供養や嘉藤太夫婦の忠誠心に加えて、里人たちの庇護と奉仕の温情に対する感謝、並びに恋し野の里の弥栄を念じて、中将姫の氏寺である榮山寺の見えるこの森に観音様を祀ったと云われる。中将姫が都に帰る時、里人たちとの別れを惜しみつつ、肌身離さず持っていた金の観音様を残して行ったと伝えられている。また、森の一隅に蓮池(姿見池)があり、中将姫は蓮を植えてこよなく愛でていたと云う。
境内社については、旧伊都郡隅田荘戀野村に鎮座し、『紀伊続風土記』の小祠六社のうち、「八幡宮」・「大将軍社」と記され、 他の四社と合わせて一文あり。「以上六社村領に散在す。社地皆除地なり」とだけ記されている。
ここからさらに上がって行くと分岐がありましたが、正面の道(奥に似賀尾池。こちらも中将姫旧跡)は封鎖されており、左(西、道幅極端に狭くなります)に曲がって道なりに行くと左側に布経の松があります
境内は狭く、道路は奥にある只野地区の生活道路にもなっていますので、路駐はしないようお願いします。弥勒菩薩堂の上に東屋があり、由緒書のあたりに置けるスペースがあります。困難な場合は迷わず交通の妨げにならない場所に置かれて歩いて行かれるほうが良いかと思います
この後、道の先にある只野地区の奥にある河津神社を目指しましたが、集落を抜けた先の道が狭路のため、車での移動は困難と判断し、断念しました
この後、 久しぶりに奈良県へ向かいました
中将が森から農免道路を東に走ると奈良県五條市に入り、火打町交差点を右(南、奈良県道732号)に曲がり、三つ目のT字路を左(西)に曲がると左側にかつえ坂があります
詳しい由緒はわかりませんが、「餓え坂」とも呼ばれているそうで、この先は民家の軒先に出ます
中将姫旧跡を巡る旅はこれにて終了
ここからは普通に社寺を巡っていきます
この後、少し北のほうへ向かいました