中将姫旧跡③中将が森(橋本市恋野)~布経の松(橋本市只野)~かつえ坂(奈良県五條市火打町) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


昨日の続きですニコニコ


最寄りの場所から辿りますウインク


福王寺から市道を南東へ道なりに走ると左側に中将が森(観音の森)があります月見


中将が森(観音の森)『紀伊続風土記』『境内由緒書』より

由緒書によれば、中将姫は自分の身代わりになった人々の供養や嘉藤太夫婦の忠誠心に加えて、里人たちの庇護と奉仕の温情に対する感謝、並びに恋し野の里の弥栄を念じて、中将姫の氏寺である榮山寺の見えるこの森に観音様を祀ったと云われる。中将姫が都に帰る時、里人たちとの別れを惜しみつつ、肌身離さず持っていた金の観音様を残して行ったと伝えられている。また、森の一隅に蓮池(姿見池)があり、中将姫は蓮を植えてこよなく愛でていたと云う。

境内社については、旧伊都郡隅田荘戀野村に鎮座し、『紀伊続風土記』の小祠六社のうち、「八幡宮」・「大将軍社」と記され、 他の四社と合わせて一文あり。「以上六社村領に散在す。社地皆除地なり」とだけ記されている。


鳥居⛩️

手水鉢⛩️

由緒書⛩️

石灯籠⛩️

1基のみありますニコニコ
 
境内社(八幡宮・大将軍神社)⛩️

観世音菩薩堂月見

境内社の奥にありますニコニコ

石碑・石仏等月見

観世音菩薩堂の左側にありますニコニコ

蓮池(姿見池)⛩️

観世音菩薩堂の裏にありますニコニコ


境内⛩️

ここから少し南側に行くと右側に大日如来堂があります月見

大日如来堂月見

大日如来堂から中将が森方向月見

大日如来堂から布経の松方向月見

ここからさらに上がって行くと分岐がありましたが、正面の道(奥に似賀尾池。こちらも中将姫旧跡)は封鎖されており、左(西、道幅極端に狭くなります)に曲がって道なりに行くと左側に布経の松があります月見

布経の松(三本松)『境内由緒書』より

由緒書によれば、中将姫が三本松の根方に立って手を振ると五本の指先から五色の糸が出て松の枝から枝に渡され、美しい布が織られ、天上に御座しますお母様のためにと合唱すれば、布は天高く舞い上がり、紫雲たなびく七霞山の彼方へ消えて行ったと云われる。また、中将姫がいつも空腹を堪えながら、称讃浄土仏福受経を読誦しつつ、この峠を訪れるのを里人たちが見て不憫に思い、ここにある辻堂に食べ物を運んだと云い、いつしかこの堂を運び堂と呼ぶようになったと云われる。

高野槇(中央左)🌲

由緒書月見

弥勒菩薩堂月見

境内は狭く、道路は奥にある只野地区の生活道路にもなっていますので、路駐はしないようお願いします。弥勒菩薩堂の上に東屋があり、由緒書のあたりに置けるスペースがあります。困難な場合は迷わず交通の妨げにならない場所に置かれて歩いて行かれるほうが良いかと思いますニコニコ

この後、道の先にある只野地区の奥にある河津神社を目指しましたが、集落を抜けた先の道が狭路のため、車での移動は困難と判断し、断念しました笑い泣き

この後、 久しぶりに奈良県へ向かいましたニコニコ

中将が森から農免道路を東に走ると奈良県五條市に入り、火打町交差点を右(南、奈良県道732号)に曲がり、三つ目のT字路を左(西)に曲がると左側にかつえ坂があります月見


かつえ坂月見

詳しい由緒はわかりませんが、「餓え坂」とも呼ばれているそうで、この先は民家の軒先に出ますニコニコ

中将姫旧跡を巡る旅はこれにて終了ウインク

ここからは普通に社寺を巡っていきます照れ

この後、少し北のほうへ向かいました爆笑