印定寺(印南町印南) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

和歌山市から阪和道に乗り、印南ICで下り、印南インター入口交差点を真っ直ぐ(南)川沿いを行くと右側に印定寺があります初詣2

印定寺『朝日日本歴史人物事典(角屋甚太郎の項より)』『紀伊続風土記』より

浄土宗の寺院。山号は南龍山。旧紀伊之國十三佛霊場曼荼羅寺院(番外札所。現在は解除されている)。

旧日高郡印南荘中村の北にあり、『紀伊続風土記』に一文あり。「浄土宗鎮西派京智恩院末。慶長中の開基といふ。寺内に蘇鐵の大樹あり、圓五尺餘高さ一丈五尺餘」と記され、江戸時代後期の建築物は、本堂・観音堂・鐘樓・僧坊が建立されていたと記されている。

また、この寺は鰹節を開発した角屋甚太郎ゆかりの寺でもあり、庚申堂の前に石碑が造られています。

角屋甚太郎(生没年不詳)
江戸前期の人物で、紀伊国日高郡印南浦出身。別名「紀州甚太郎」。熊野式の鰹溜釣り法と燻乾法鰹節製法を土佐国に伝え、同国における鰹産業隆盛の基を開いた。延宝(1673年~1681年)の頃、印南浦の角屋漁船団を率いて日向浦に出漁した際、流されて土佐国清水浦に漂着したのが縁となり、この鰹節製法は後に改良されて現在の鰹節製法の原型ともなり、印南・土佐では秘伝とされた。2代目甚太郎も土佐国へ出漁し、鰹節製法の改良に務めたことは「智究願海居士」の戒名にも記されている。


山門初詣2

宝永南海地震津波記念碑の案内板初詣2

山門前にトラックが置いてあったので、真正面から撮れず…ガーン


本堂初詣2

庫裡初詣2

手水鉢初詣2

御堂初詣2

これが観音堂かな?(´-┃

庚申堂初詣2

角屋悲恋物語の石碑初詣2

「角屋悲恋物語」とは、甚太郎の子孫で、代々印南浦で庄屋を勤める甚三郎の子与一が女中のヲサナと恋に落ちるが、身分の違いから恋愛は許されず、二人は印南の浜に身を投げた。嘆き悲しむ甚三郎は、印定寺に永代供養を託し、多額の寄附をして土佐へ移住したと云われる。

地蔵菩薩初詣2

境内初詣2

この後、本堂の裏にある住吉神社に向かいました(*'∀`*)v