上阿田木神社(日高川町初湯川) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

夜勤真っ最中の時間帯なので、予約記事でガーン

昨日の続きです(*'∀`*)v

下阿田木神社から国道424号をひたすら南へ走り、右側に椿山ダムが見え、少し行くとT字路があります。そこを左(西)に曲がり、次のT字路を真っ直ぐ(西)行き、道なりに行くと左側に特別養護老人ホームが見え、その向かいに上阿田木神社があります初詣2


上阿田木神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神
(主祭神)伊弉冉命 
(配祀神)伊弉諾命、火結命、事代主命、早玉男命、奇御気野命、誉田別命、河内神、飛鳥神、垣内神、田中神、猪谷神、里神、天御中主神

合祀社    串本神、天満神

旧日高郡寒川荘笠松村の山岡の平地に鎮座し、8箇村(土居・西野川・井谷・初湯川・笠松・瀧頭・熊野川・浅間)の産土神。江戸時代後期の社号は「上愛徳六社権現社」と記され、境内は東西に4町(約436メートル)・南北に2町(約218メートル)。『紀伊続風土記』によれば、古くに神宮寺の阿彌陀寺(山号は愛徳山。院号は安住院)があったが、江戸時代後期の時点で、すでに廃されており、森の中に跡地が残るのみとあるが、長床のみが現存する。

創建時期について、元弘4年(1334年)の縁起によれば、延喜22年(922年)に熊野権現を旧牟婁郡新宮村(現・新宮市)から勧請し、旧日高郡川上の寒川大原峰の御社原に鎮座。延長6年(928年)、阿田木原に遷座し、天徳2年(958年)に御神託があり、仁定上人が新宮の宝殿に納め、詔書1通・鈴10具を毎年2月15日・9月9日の寅の時にこれを開くと云う。寛治5年(1091年)、巾子形原(現・日高川町上越方・下越方)に遷座し、天仁元年(1108年)に糸尾の宮に遷す。糸尾の宮は旧川上荘阿田木村にあり、下阿田木六社権現社(現・下阿田木神社)が鎮座し、祀る神は上下共に同神にて熊野十二所権現を祀り、社殿も6つ(現在は3社殿)あり、社号を「六社権現」と云われる。阿田木村に遷った後も旧跡に宮居を遺し、古くより寒川氏(旧土居村を本拠とする豪族で、江戸時代以降は神職として現在に至る)が領する村々の産土神とし、社殿を造営することにより、上下の権現社が鎮座した。永禄年間(1558年~1570年)、兵乱に遭って神寳・文書等を悉く焼失するも、元亀年間(1570年~1573年)に寒川氏が再建して棟札が存在したが、江戸時代後期の頃にはすでに失われており、新宮から得た鈴も1具が失われていたと云われる。

社伝では、寒川氏の祖が御神託を奉りて、神人神部を集めて、社殿の東にある高山高天原に神籬を立て、御湯荘に御神楽を奉献したと云う。今尚、その旧跡があり、その湯水を得賜いし河を称して初湯川と云い、村も初湯川と呼ぶに至り、大社を造営して鎮め奉りしと云う。境内に鎮座する天満神社・河内神社は、これより前に鎮座した。康暦2年(1380年)、室町幕府3代将軍足利義満より社領350石を賜ったと伝わる。


鳥居(一ノ鳥居)初詣2

石灯籠初詣2

左右一対あります(*'∀`*)v


長床初詣2


社務所初詣2


由緒書初詣2


境内初詣2


手水舎初詣2


鳥居(二ノ鳥居)初詣2


拝殿初詣2


本殿初詣2

格子の隙間から撮りました(*'∀`*)v




重右衛門杉初詣2




矢之助杉初詣2

台風による倒木で、現在は株跡しか残っていないそうですガーン

境内は森全体なので、比較的広いです。駐車場はありませんが、鳥居前まで入ることができます好

雨が益々強くなってきました雨雨雨

まだ奥のほうへ行きたかったですが、無理をせずに断念しましたガーン

日高川流域のお話は一旦終了です(´-┃

この後、和歌山に向けて帰りますが、有田市にて寄り道しました好