おはようございます(´・ω・`)
今日お休みなんですが、夜に会議です
先月も明けだったしなぁ…
疲れが取れん
さて…
昨日の続きです
春日神社から東に行くと消防署に面した県道7号があり、そこから少し北に行くと常行寺があります
常行寺『紀伊続風土記』より
西山浄土宗の寺院。山号は佛立山。本尊は阿弥陀如来。
創建時期不詳だが、過去帳には大永8年(1528年)の記載があることから古寺と推察される。天正年間(1573年~1593年)に榮玉上人が再建に尽くして中興の祖と言われる。本尊は高麗伝来の阿弥陀如来だが、焼失した伽陀寺から本尊三佛をこの寺に移して奉ったとも伝わる。
伽陀寺(山号は法輪山または葛木山)は、葛城二十八宿第一品(通説は友ヶ島)、修験者の修行場として役行者の開基、延喜(醍醐)天皇の勅願で堂舎が建立された。『寛永記』によると、境内は広大で本尊の薬師如来の他に数体の佛像が安置されていたと伝わるが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州征伐で焼失。後に小堂が建立されたが境内は方1町と衰退。現在はその小堂も姿を消し、現存していない。南海電鉄加太線加太駅の北側の山麓にあったとされ、地中から時折瓦の破片が出土する。
室町時代後期、加太6箇郷を治めていたとされる向井禅正源景義(大永年間(1521年~1527年)の生まれ)の祖は、向井嘉左衛門(後に迎之坊と号す)と云い、加太村平井町に住し、伝承によれば、役行者が葛城山を遍歴している最中にこの地へ迎え入れたとされる。後世、聖護院領となった際、向井氏はこの地の政所を命じられたとも伝わり、同時に伽陀寺別当(正安2年(1300年)罷免)であったことが正和年間(1312年~1317年)の書状に見受けられる。江戸時代に至ってもその名は残されており、寛文年間(1661年~1672年)まで善鬼(役行者の従者の筋目の者)嘉左衛門とも呼ばれていたという。
山門
本堂
庫裡
鐘楼
山門右側にあります
地蔵菩薩
ビャクシン(和歌山県指定天然記念物)
寺の前は空き地ですが、駐車場はどこにあるのかわかりませんでした。境内は狭く、境内の大半が墓地です(どこを写しても必ず墓地が写ります)
伽陀寺ゆかりの寺でしたので、一度行きたいなと思っていました
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でだ…
少し納得がいかないことがある
昨日も書きましたが滞在時間は30分です
加太のほとんどの駐車場が「有料」なのでどこに置こうか地図を眺めていたら、加太港緑地駐車場には「有料」と書かれていないことに気付き、ここに止めることにしました
いざ、行ってみると県道沿いの出入り口にも駐車場を示す🅿の表示はあっても「有料」とはどこにも書かれていない
「無料」だと思って入って行くと橋の入り口にいた年配の女性がしれーっと車に近づいてきて…
500円徴収されました!
駐車場内に入ってもどこにも「有料」と書かれていません!!!
有料なら有料って書いとけ!!!
「友ヶ島には行きませんよね?」とも聞かれましたが、行っていたらさらに料金を取られたのでしょうか?
地図を見ながらの散策でしたので、金を取るぐらいなら加太の街並みにも詳しいのだろうと女性に春日神社の場所を聞いてみたら…
「ここ(県道)をずーっと行って、そこらへんにある店を曲がって上にのぼったところにあるで」
って…
そこらへんにある店って、ようさんあるやん!!!
知らんのかよっ!!!
こんなオチでしたが…
実際には金刀比羅宮の手前左側にある小さなお店(←たぶんおばちゃんが言った店)のところを曲がって真っ直ぐ坂道を歩いていくと神社がありました
ただでさえ、過疎化が進んでいるのに…もっと観光に力を入れてください!!!