おはようございます(´・ω・`)
前回の続きです
都麻都姫神社の前に行っていたのですが、由緒がまったくわからなかったので図書館に籠ろうかと思っていましたが、何とネットで『紀伊続風土記(原文)』を発見
世の中便利になったもんだ…しみじみ
さて…本題
熊野古道に沿って県道9号を南下すると阪和自動車道が見えてきます。高架下をくぐり、すぐ左に曲がってさらに南下(田んぼを挟んだ反対側に武内神社(安原八幡神社奥宮)があります)。ため池に沿って行くと薬勝寺地区に入り、薬勝寺会館(自治会館)の裏に薬王寺と八王子神社があります
薬王寺『紀伊続風土記』より
浄土宗鎮西派の寺院。山号は瑠璃山。院号は天平院。
薬勝寺村にあり、『霊異記 』にその名が見える。寺伝によると、古くは光明皇后の湯治の村であり、聖武天皇の願いにて伽藍を創建し、薬王寺と号す。また、院坊6ヶ寺(多聞院・菩提院・實蔵院・地楽院・成就院・由光院)も創建されたが、薬王寺の開基は不詳とされる。寺領は近隣の4村に渡り、且来村(現・海南市且来)にも寺領があったと伝わる。一方で、『関東下知状』によれば、永仁7年(1299年)、薬王寺は薬勝寺の境内を分割して建立したと記されている。
薬勝寺は天平年間(729年~749年)に威光上人が紀伊の季貞相と共に国家鎮護のために創建した古刹である。威光上人が没した後、一時衰退したが、治安3年(1023年)に寺衆の尽力で再興し、代々御願定額寺となり、応徳3年(1086年)、真言宗御室派仁和寺の末寺となる。
その後、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州征伐で隣接する薬勝寺共々全山焼失。江戸時代に至り、薬王寺は跡地に小堂を建立して浄土宗となったが、薬勝寺は再建されなかった。境内は全盛期の10分の1にも満たず。村の南にある石階段の下にある礎石はかつての大門の跡だという。
山門
またしても…山門が無かった
鐘楼
手水舎
本堂
庫裡
薬師堂
境内
薬王寺に隣接して八王子神社があります
八王子神社『紀伊続風土記』より
祭神 八王子神
薬王寺の境内東側にあって古くは瀬田荘の産土神であったが、後に薬勝寺村のみの産土神となったと伝わる。社殿は古宮山にあり、御供所・拝殿・御輿蔵等を備え、表鳥居の前の田地に馬場があったという。当時は中門もあったようだが現存していない。
鳥居
手水舎
拝殿
本殿
小社
駐車場は山門脇にあり、5~6台は置けるかと思います
境内も神社を含めると結構広く感じます。コンパクトに全て収まっている感じですね
薬勝寺の地名の由来がわかって、少しすっきりしました(笑)
ネットのおかげで、次の散策は図書館で時間をロスすることなく行けそうです