天神社(有田市初島町浜) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

こんばんはキャッ☆

本日も明けにて(*'∀`*)v

ちょっくら有田まで行ってきました(笑)

道が混んでいなければ片道1時間もしないうちに行けます大学通り

今日は初島町を重点に3ヶ所回りました(*'∀`*)v

和歌山市から国道42号を南下、有田市に入って里交差点を右に曲がって、しばらく行き、JRきのくに線(紀勢本線)の踏切手前の交差点を右に曲がり、線路沿いを走って行くと右に天神社があります初詣2


天神社『和歌山県神社庁公式サイト』より

祭神    菅原道真

合祀社    招魂社

古くから有田市初島町浜(旧椒浜村)の産土神として祀られ、創建については『神社明細帳』に「伝ヘ聞ク、当社ハ萬治四年ノ勧請ニシテ、山城国北野天満宮ヲ遷座ス、故ニ此ノ所ヲ北野ト称ス」と記されており、境内に残る石碑に「奉備天神御寶前 萬治四年四月吉祥日」と刻まれている。

一方、『南紀神社録』には「在椒浜浦、菅原ヲ祭ル、神体ハ木像ナリ、文暦年間棟札ニ天満大自在威徳天云々、元弘二年棟札亦存ス」とあり、鎌倉時代には既に神社が存在しており、『紀伊続風土記』には「祭礼九月十六日なれば天満宮にあらず、天神七代を祭れるなるへし」との記述がみられる。これらの文献の記述から、古くは天神七代を祭神としてお祀りしていたものと考えられ、鎌倉時代の文暦年間(1234年~1235年)と元弘2年(1332年)に社殿の造営、江戸時代の万治4年(1661年)には造営と併せ、改めて京都北野天満宮から菅原道真公を勧請したことが推察される。

かつては海岸に向かい両側に灯籠を配した参道が延び、神社として整った形態を成していたが鉄道の敷設と昭和初期の国策による製油工場の開設により境内が縮小された。現在の本殿は、昭和38年(1963年)に造営したものであるが旧本殿を鑑定した結果、小規模ながら優れた建造物であったため、旧本殿を解体した上で忠実に復元し、平成6年(1994年)には、本殿と表参道の鳥居以外の全ての建造物を改築する大改修事業が竣工した。





鳥居(表参道)初詣2

裏参道の鳥居…撮り損ねた…っというか…気づかなかった…354354


手水舎初詣2


参道初詣2


百度石初詣2


拝殿初詣2


社務所初詣2


納札所初詣2


境内初詣2


合祀社(招魂社)初詣2

駐車場🅿は鳥居の右側にあり、4~5台は置けるかと思います(*'∀`*)v

境内はそんなに広くはないですが、山の斜面に沿って造られています初詣2

また、線路沿いから神社裏の山のほうへ行くと天神峠地蔵尊があるようです。こちらはまた機会がある時に行きます(*'∀`*)v

明日また更新します好