フィリピンの永住権取得と法人設立などをやっている間は、コロナ禍以前はカジノのサービスが良かったので、数カ月マニラのマリオットでホテル暮らし、カジノのBMWやアルファードなどをチャーターし、無料の贅沢三昧をしていた。


当時は7万HKDローリングで1泊無料で無制限、溶けずに月に1000万HKD以上ローリングしていたので、そういうことが可能だった。

以前からカジノホテルに住んでいたフィリピン華僑のお大尽などは、今はSolaireに住んでいる。

他のマニラの大手カジノ3社は、どれだけローリングしても何泊までしか無料にならないという制限があり、Solaireは月に30泊まで無料にできるからだ。

もちろんハイローラーの方で、無料宿泊の限界まで確保し、そのタイミングでプログラムを閉めるなどの技を駆使すれば、今も普通にどこのカジノホテルにでも住むことは可能。

ただ、現在の無料宿泊の基準が、敷居が低いのが売りのマニラなのに、コロナ禍以前のマカオレベルの要件になり敷居は高い。

 

フィリピンの永住権は、犯罪歴のない人間なら、ある程度の資金があれば簡単に取得できる。

警察で指紋収集されたりしながら、無事に取得した。



この期間はホテル暮らしだったこともあり、フィリピン料理を食べたり、日本から休暇でフィリピンに帰省中の日本のフィリピンパブの指名嬢とマラテのお店へ行ったり、バギオへ旅行したりと旅行気分だった。

 




余談だが、フィリピーナはプライドが高いのか、嫉妬心が強いのか、昼ドラの見過ぎなのかは分からないが、女連れでフィリピンパブへ行くと、闘争心に火が付くのか、、、
燃え上がるようで、なぜか逆にモテる。
既婚者駐在員で、奥さんがいるのにフィリピーナ彼女がいるのは、略奪愛に燃える娘が多いから?

さて、永住権や銀行口座の準備も完了し、プレビルドで購入したコンドは建設中だったため、マニラで部屋探しを始めた。



外国人に人気のエリアはマカティ、BGCという2か所があり、BGCの方が新しく開発された街なので綺麗だ。

しかし、その街へ出入りする道路が渋滞することが多く、陸の孤島感があり、マカティを選んだ。

BGCの中で生活が完結する人や、ディスコで踊った後に歩いて帰宅したいパリピには、そちらがオススメだ。

 

マカティの中でもいくつかのエリアに分かれているが、グリーンベルトというショッピングモールの真向かい徒歩10秒のロフトタイプの部屋に決めた。



1ベッドルームのロフトで、ウォークインクローゼットがあり、おそらく50~60㎡で、月60000ペソの1年契約だった。

このコンドは人生の中で最も便利な立地の部屋で快適だった。

大家が自社ビル所有している富豪のフィリピン人女社長で、仲良くしようと思っていたものの、結局特にコンタクトを取るわけでもなく、大家が”東京のビルズのパンケーキが好物”ということしか分からずに退居した。

 

シンガポールからマニラへの引っ越しの際の荷物は、賃貸が両方ともに家具付きだったこともあり、ハンドキャリーで自分で往復して運んだ。

この時に気付いたのだが、シンガポール航空のマニラ発券チケットの値段が、往復エコ5万円、ビジネス7万円程度だったのだ。



無論コロナ禍以前の話なので、現在のことは分からないが、”チケットの発券場所によって、ビジネスクラスのチケットの値段が格安なことがある”というライフハックで、「フィリピン移住までの軌跡」編を締めくくる。