​​2017年生まれの女の子、ちっちゃんと

2人暮らしをしている30代シンママですニコニコ

子育て、離婚、仕事、投資や節約、
日々の奮闘ぶりを記録しています(^^)



能登の震災時に新潟にいた我が家。


海も近いため地震後すぐに高台にある中学校に避難しました。





中学校の駐車場には、避難してきた車が所狭しと駐車され、


暖房のある部屋で報道を見ながら休んでいる人もいれば、

車の中で暖を取っている人もいました。




我が家はしばらく車の中にいたのですが、


周りが暗い(田舎なので街灯も少ない)し、

周りの人がいないということで


ちっちゃんがとても怖がってしまいショボーン



ひとまず私とちっちゃんだけ中学校の中の暖かい部屋へ移動しました。





部屋は暖かくしたいただいていますが、

毛布などがあるわけではなく、冷たい床に直座り。



そこで、買い出しのときに買っておいた

おはぎ等を食べて空腹を凌ぎました




でも、しばらくするとまたちっちゃんが

「じーじ達に会いたくなった」というので車に戻ることに。





車に戻った後も、ときどき車の周りを散歩したりして、怖がるちっちゃんの気持ちを紛らわせていました。





そうして車の中でうとうととニュースを見ていると、津波警報が注意報に変わったとのことで、


地震から8時間後?くらいにようやく家に戻れました悲しい





家に戻った後も、次またいつ地震がくるか分からないので、

逃げられる準備だけして寝ましたが



地震による不安からか、その日の夜に久しぶりに夜泣きをしたちっちゃん。


「こわいー!こわいー!」と寝ぼけながら大泣きしていました悲しい




地震の揺れもそうだし、

サイレンの音もあったし、

大人たちの緊迫した空気も全部ぜんぶ怖かったんだろうなと思います。





私たちのいた地域は、幸い液状化や停電などの被害もありませんでした。



地震の翌日、北陸道が通行止めだったため、


かなり遠回りして7時間くらいかけて関西へ帰ってきました。


(帰ってきたら次は飛行機の事故のニュースが流れており、年明け早々の悲しいニュースによる心のダメージが大き過ぎて、しばらく涙が止まりませんでした)






避難所に行くなんて、人生で初めての経験でしたが


防災グッズの備えの重要さをヒシヒシと感じました。

(今回、我が家はたまたま買い出し直後の避難だったので、飲食には困りませんでしたが)




あのまま避難所生活が長引く可能性もあったわけで、もっとちゃんと備えておかないとダメだなと思いました悲しい



あと、スマホのキャリアは、家族バラバラの方がいいなとも思いました。


私たちがいた地域では今回、

弟のソフトバンク×

父のdocomo △

私の楽天モバイル(au回線)◯

という状態でした。



お得だからと言ってキャリアをまとめてしまうと、被災時に何の情報も得られない可能性が。

(スマホだけじゃなくラジオの大切さも痛感)






この三連休で、早速防災グッズを更新する予定です。





我が家は事なきを得ましたが、被災地ではまだまだ捜索活動も続いているとのことで、

どうが1人でも無事でありますように。。


そして被災地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。



まさかこの数時間後に地震が来るとも知らず

スキー場で雪遊びをしていたとき。


ソリや雪だるま作ったり、楽しかったなぁ