「ひきこもり」 「精神病」 「自殺」 「怪奇事件」etc...と聞いて 皆さんは何を連想しますか?
私は即「インターネットの闇」と連想する 理由は追々 書いていきます
『新潟少女監禁事件』は 1990年11月13日に新潟県三条市の路上で誘拐された当時9歳の少女が 2000年1月28日に同県柏崎市の加害者宅で発見されたことにより発覚した誘拐監禁事件 まだ記憶に新しい方も多い事件だと思う 少なくとも私は忘れていない 監禁期間が約9年2カ月という長期に渡っていたことや 事件に関わる新潟県警の捜査不備や不祥事が次々と発覚したことなどから社会的注目を集めた
裁判は犯人の量刑に重大な影響を及ぼす併合罪(殺傷罪と窃盗 この場合は重い刑のほうが優先され+その刑の1/2の刑期が加算される)の解釈を巡り 最高裁まで争われ 2003年7月に懲役14年の刑が確定している また 犯人が長期の「ひきこもり」状態にあったことから 同様のひきこもり状態にあった男が数カ月後に起こした 西鉄バスジャック事件と共に 「ひきこもり」問題の社会的認知度を大きく高めた事件ともなった こういった不可解な事件は後を絶たない なぜ? 警察の不祥事も消えることはない 私たちはみんな 「幸せ」 を願っているよね これに異論のある方はいないと思う なのに国内情勢も世界情勢も戦後からは特に悪化していく一方だ キーワードは 社会病理にありそうだと直感する
写真はイメージです
新潟少女監禁事件の実行犯の男性は 「少女を友達だと思っていた 恨まれているとは知らなかった」 と供述している 精神鑑定の結果は以下のとおりである
被告人には分裂病型人格障害や強迫性人格障害などの人格障害が認められるが 物事の筋道に従って行動する能力を失ったり 著しい障害を有する状態とは判定されない 他に自己愛性人格障害も認められる また被告人が訴えている幻覚や妄想などは拘禁生活の影響で誇張されたものであり 犯行には直接 影響していない 被告人は狭義の精神病には罹患していない 拘禁には耐えうる しかし 強迫性人格障害や分裂病型人格障害があることは明白であり 被告人の犯行に若干の影響を与えたことは考慮すべきであろう
つまり責任能力はあったってことだ しかし私は精神鑑定というものに対し懐疑的である だって誤った鑑定結果による判決によっては 凶悪犯罪者が無罪となってしまう可能性がある 逆もありえる だから精神鑑定も筆跡鑑定も判断基準がイマイチ曖昧なのでもっと熟慮すべきだよね (裁判員制度になってからの裁判事情はよく知らないが)
社会病理の解決に方程式はねえのかよ、、、と答えを急がないでください もう少し お付き合いください 方程式はありますからね ちゃんと すいません
この新潟の事件から「ひきこもり」という言葉が文化のように使われるようになり それまで潜伏していたひきこもり者が顕在化したんじゃないだろうか 社会病理は遥か昔から 実は普遍的にあったことだろうと思う しかし現代は現代なりの形で 社会に陰を落とす社会病理が絶えることなく存在する それはインターネットの普及率と正比例して 社会病理も劇的に増加の一途を辿っているのは間違いない
先進国の中では著しく遅れをとっている日本の精神医療 21世紀は「精神病の暗黒時代」となっている メジャートランキライザー大国の日本 精神科 心療内科に通ってる方に私は問いたい
「その精神薬 本当に効いてますか?」
って ほとんどの方が
「分からない、、、でも飲まないと不安」
きっとそう答えるよ
少し脱線します、、、
ちょっとアメリカのカウンセリング事情を考えてみよう まずアメリカってのは カウンセリングを受けるということは特別なことではなく まるでエステにでも通うような感じで とても普通の行為として受け止められている たとえば多くの企業では社員が年間に規定の回数のカウンセリングを 受けることができるように会社持ちで費用を負担 社員がカウンセリングを受けることは 当然の権利として受け取っている 会社内に専属の産業カウンセラーが常駐している場合も多く 気軽にカウンセリングを受けることができる環境は まあ 善し悪しはともかく よく整えられているなと感じる ある日本人がアメリカの会社に就職して まず驚いたのが カウンセリング事情だったと言う カウンセリング券のようなものが与えられて 年間10回までカウンセリングを受けることができるようになってる
大まかなアメリカのカウンセリング事情はこんな感じだが ねえ なんだか すごく変だと思わない? エステ感覚でカウンセリングってさ、、、豊かなんじゃないの? アメリカって 金は溢れ 物は余る程ある 軍事力は世界最高峰! 何をそんなに困っているわけ? 自分で考えることを怠けてんじゃねえの? って思っちゃうよ 「国民の幸福度」世界一ってブータン王国だそうだ 特に先進国でもないけどね 幸福の定義ってなんでしょう? 私は「心の豊かさ」だと思うけど そこは千差万別かな 何が幸福かなんて人それぞれだ ちなみに日本ではカウンセリングは保険がきかないから利用者はまだ少ない でも私は思う
『この世からカウンセラーがいなくなればいいな』
ってね これには批判の声がほとんどだろう その理由も分かっているつもりだ だがカウンセラーが利用者に 中途半端に優しくするから(職業的笑顔 目がね笑ってないの) カウンセリングルームは精神病の温床と言わざるを得なくなるんだ カウンセラーなんて頼るな! 信頼に値する自分の心を育くもう そこからでしょ
写真はイメージです
で 話を戻すと、、、
私は基本的にインターネットはやらない 何故って? 激しい情報の氾濫じゃない ずっとやってたら発狂するよ私ならね それに精神を病みたくないからねえ まあ ほどほどにねって思うわけ あのお 時々インターネットで見かけません? 「情報中毒」の方 あれは精神衛生上とても良くないと私は思う 「情報が命!」って命より大事なもんないでしょ?? だってさ 何の根拠も 証拠も 真実も 誠実さも インターネットには ひとかけらもないよ ネットの世界の自分にアイデンティティを見出している人も多いだろうが とりあえず少し立ち止まろう
社会病理=妄想が原因※1
※1 終わった過去のことを思ってはクヨクヨするとか 未来を思っては不安になるなど ガラクタのような今(NOW)現在 存在しない現象を考えることを妄想という
これは「すべての社会病理に」と言っても過言ではない 解決できる方程式だ これが社会病理のカラクリ 嘘だーー! って思う方はまず試してみましょうよ だって解決が理想でしょう? 社会病理の原因が妄想ならば 単純に妄想を減らせばいいってこと どうやって? そこは余りに長くなるので省くけれど(というか今回の趣旨ではないのでね) 要は〝今〟という瞬間に気がつくってことなんだそうだ それは瞬きよりも断然早い〝今〟 捉えてみたいよね まあ言葉で言うのは簡単 でも行動療法みたいなもんだから やらなきゃ結果は出ない まあ自戒を込めまして
写真はイメージです
また話は新潟の事件に戻るんだけれど、、、
少女を監禁してた男性は高校卒業後から完全にひきこもってしまう で たまたま歩いていた少女が可愛かったので 「一緒に暮らそう」 と思い立ち拉致してしまう なぜここで歯止めがきかなくなるのかがわからないのであるが だから社会の病なんだろうな
私の興味をグッと惹いたのはこの下り
「男性は少女は唯一の話し相手 友達 と認識していた 男性は少女に漫画や新聞などを与え テレビ ラジオで流れるニュースなどの内容や 男性の嗜好する事柄について少女と語り合うことを好んだ 時事についての議論は 「彼女の考えが子供のままでいないように」 するためであったとし また「因数分解なんかは世の中では役に立たないけど 比例式は覚えた方が良いので教えました」 と供述している」 (少女が保護された後に行われた検査では 少女には一般の同年代人と比較して 知的レベルに目立った低下は見られず 知識量や語彙においても 目立った遅れはないとされた)
これを知ったとき ひどいやるせなさを感じた 行き場のない切なさというか 確かに男性は犯罪を犯している自覚はあった 実際に犯罪である だが私には男性が 大変に少女に親しみを持ち 充実感を得ており 少女の将来のことまで危惧し気遣っていた、、、と読み取れはしないかと思う 決して擁護のつもりはない しかし 形は歪んでいるが 一種の愛情を男性から感じてしまうのは私だけなんだろうか?
「新潟少女監禁事件」の男性のような存在が 犯罪に走ることなく健全に暮らせる健やかな社会づくりは早急な課題だと思う 個人の価値など軽んじられる昨今の世の中 危惧すべきはインターネットの加速的普及 確実に社会病理も加速的に増えていくことをここに予言しよう
社会病理の根底にインターネットの闇(病み)が潜んでいることは間違いない





