父のガンの発見は いわゆるターミナルの領域だった B型肝炎と肝硬変が併発しもはや末期ガンだったのだ 現代の西洋医学では治せない ということだ つまり死ぬのを待つしかないと、、、
父は私が高一の頃から単身赴任だった 私が高三の四月末日 「お腹が痛い」と父が電話をよこし高速を飛ばして帰って来たのだ 一同まさかと焦った 翌日 父と母は近所の病院に行った しかし父の腹痛は収まっていたのである よって結果は「尿管結石でしょうね 石は見当たらないから尿で流れたのでしょう 大丈夫です」というものだった 家族一同胸を撫で下ろした 本来は誤診だったのであるが
その夜 五月三日のゴールデンウイークに家族で出かけようとなった だが翌朝 父は再び激しい腹痛を訴えるのである だって石は無いはずじゃ? しかし痛みに波があるようで「ああ収まった もう大丈夫だ」と言うのである だからまだ家族の誰も父のガンに気がつかなかった
五月三日 快晴 父は朝から元気である「今日はちっとも痛くないぞ」と 「よしじゃあ行ける?」「行けるとも」 思えばあの日父の具合が良かったことが奇跡だと今は思える 家族揃って最後のお出かけとなった そしてその日の写真は遺影となった
翌日 父は再び激しい腹痛を訴えた これはおかしいとなりセカンドオピニオンを求め父と母は大きな病院に行った 帰って来るなり夕飯になって母はいつも通り夕飯を支度した みんなで夕飯を食べて他愛のない話をしていた 食後 父は改まって言った 「話がある 今日C大学病院に行って来た パパは末期ガンだ でもパパは諦めない パパは死なない 力を貸してくれ」 私は泣き出した 兄は黙って俯いていた 母は黙って父を見つめていた
父は会社を辞めることとなり自宅での療養が始まった もうあのとき私は何か予感していたように思う そう父は死ぬのだと だが本人が「死なない」と断言する限り 周りはやるべきことをやるしかないのだ 私は平然と学校へ行った 誰にも父が末期ガンだとは(何故かな? わからないけど)言えなかった 言ってはならないような そんな気がしたのだ 昼食になれば当たり前のように購買のパンの列に並び 夕方には予備校へと通った
六月に入ると父の食欲は徐々に落ちていった 紫陽花が咲き始める頃には もう固形物はほとんど食べられず身体を横たえる日が続いた 私が夏休みに入る頃 父はとうとう入院を決意 それも東洋医学の病院だという もしや、、、淡い奇跡を願ったのもつかの間 父は明らかに悪化していた もう父も含め家族の誰もが本当は分かっていたはずだ ただ口にできないだけで
九月一日 見舞いの帰り際に父に「明日は来ないよ 今週は月曜日からずっと来てるからお休み」と伝えると 「踏み台が欲しい このベッドは高すぎてトイレに立つのがしんどいんだ」と言うのである 「じゃあ明後日また来るからそのときね」と言うと 「ダメだ明日じゃないとダメだ」と言ってきかない 仕方なく兄と「明日持ってくるよ」と言って帰った
九月二日 その年最高の暑さをマークした 兄と私は朝から幼馴染に車を出してもらいホームセンターへ行った 三人で汗だくになり急いで踏み台を手づくりすると駅まで送ってもらい兄と私は電車に飛び乗った 到着すると 父は爆発音のような耳鳴りと痛みに苦悶していた 母は熱心にお経を唱えている 父の様子を見ていた あのとき私はどんな顔をしていたんだろう 困ったような悲しいような怖いような そんな顔だろうか
しばらくして父はおとなしくなり「もう大丈夫」と言った 「踏み台を持って来たよ」「ああ ありがとう早速 足を降ろしてみよう」と言うのである 「いや今度のトイレのときでいいんじゃない?」と私が慌てて言うと父は私を制した 「今 降ろしたいんだ」と 父は母の助けを借りてゆっくりゆっくり起き上がった そしてゆっくり踏み台に足を降ろすと「ああ これでトイレがラクだ」と言うと笑顔を見せた そしてまた母の助けを借りて横たわった これを最後に父がこの踏み台を使うことはなかった
真夜中FAXが母から届く 「パパの耳鳴りも痛みも収まりました」と そうか! と兄と喜んだ 兄は仏間でお経をあげてから寝ると言うので私は先に眠った
九月三日 快晴 朝五時すぎ兄に寝ていたところ肩を叩かれた瞬間に私は泣いた 分かってしまったのだ兄が何を告げようとしているのか 「パパが死んだよ 起きて 今から病院に行く」 後に兄はなんと言って私を起こせば良いか悩みに悩んだと言った 私の手を引いて寝巻きのまま泣いてる私に上着を着せながら兄は半狂乱の私を引きずって用意された車に乗せた
外は昨日の暑さが嘘のように肌寒かった 秋がすこーんとやって来た 父は隣で眠る母を起こすこともなく静かに亡くなったという 心肺停止を発見した看護士によって発見された 病院の裏口から霊柩車の助手席に座って父と家に帰った それから慌ただしく葬儀を執り行い 父は出棺となった 私は父が業火で焼かれてしまうことが耐えられなかった 顔色ひとつ変えない母にしがみついて泣いた 出棺の瞬間に「もう命はなかばい」と母が力強く言った 一時間半ほどで父はあっけなく白い骨になって出てきた 私はあの幼馴染と最後に骨を拾った 父は私と兄に亡くなる一週間前に言った「お母さんをよろしく頼む」 父は知っていた日曜日に死ぬことを だから土曜日にも私と兄を見舞わせたのだ踏み台を理由に
あれから私は肺に穴があいたみたいに虚しくなった 短大に入るものの理由はわからないが中退してしまう その肺の穴は塞がらないまま今日まで来た 医療って何だろう? ターミナルケアってなんだろう? 東洋医学も西洋医学も父を救わなかった 父は死なざるを得なかった B型肝炎は死ぬ病なのだ それを治すと院長は言った 後にこの病院がインチキだと発覚したのだ 父の亡くなった場所には新築のマンションが建っている あれを見たときになんか吹っ切れたんだよね そんなものかってね 考えてみたら死なない人間ていないんだなって分かったら父の死を本当に受け止めたように思う そしたらね ついに肺の穴が塞がりそうなんだ
一連の日々を振り返って自分の記憶の薄さに驚いた そして 生じたものは必ず滅することを理解した