今から十年前 私はジャックマイヨールの存在を知り そして自殺で亡くなったことを同時に知った そのときの複雑な気持ちといったらなかった ここにジャックマイヨールのウィキペディアを貼ります(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB


 ジャックマイヨールをご存知の方は多いと思う リュックベッソン監督の映画「グラン・ブルー」や著書「イルカと海に還る日」などでも有名である なにより凄いのはジャックマイヨールの素潜りの記録 水深100Mを超える記録は おそらく今でも破れていないのではないかと思う


 しかし晩年 ジャックマイヨールは鬱病を患っていた 彼は怒っていたという 「どうして海洋汚染をするのか!」 と そしてイルカと人間の共存を強く訴えるものの ジャックマイヨールが何を思い煩い苦しんでいたのかは不明である 遺書もなかった首吊りでの自殺であった


 海とともに生き 海を愛し 素潜りでの世界記録まで達成し イルカ人間とまで呼ばれたのに ジャックマイヨールは自宅で首を吊ってしまった なぜ彼は海で死ななかったのか? 海に還ることがジャックマイヨールの本望ではなかったのか? 私は十年前 暗澹と考えていた 「結局は イルカ人間とまで呼ばれたジャックマイヨールも 所詮は生身の人間でしかあり得なかったということか」 と また「人間であることの限界を感じたのだろうか?」 と


 私は最近 極限を目指し 世界的な記録を残した偉人の内実について考えている マザーテレサしかりエリザベス・キューブラーロスしかり なぜ究極のことを成し遂げた人物は心に深い影を落としてしまうのだろう? 実直すぎることは苦しいのかもしれないと 近頃は思う 彼ら彼女らが いったい何を見て何を感じ どれほどの絶望を感じたのかは 本当のところ私には知る術がなかった


 1999年 私の父は死んだ 享年49歳 若い生命であったと思う  父の死を受けて 私は何かが麻痺し 成績だけはダントツであったが 私は何も感じなかった みんなに腫れ物扱いにされも何も感じられなかった そして近い高校の帰り道を 突然に帰れなくなる日があったりして そんな日は兄にバイクで迎えに来てもらっていた あの頃の記憶はほとんどない どうやって学校生活を送っていたのか憶えていない あのとき私は初めて絶望の意味を知ったと思う


 話を戻そう 偉人たちの絶望 それは親しい家族を喪う なんてレヴェルではないような気がする 私も確かにあのとき絶望した 発狂しそうなほどに絶望した しかしジャックマイヨールたちが抱えた絶望の深さには 並々ならぬものがあるように思えるのだ それは黒いタールを吐き出せないまま 生き続けるような苦しみではなかったか そんな生涯を送れるのは やはり偉人であったからではないか そうとしか私は考えられない


 しかし偉人とはいえ 人間であることにおいては 私と同じなのである では何が違うのか? おそらく垣間見た世界の違いであろうと推測する ジャックマイヨールは海のことを知り尽くし極めた けれど晩年 心を患うほどに思い詰め 自殺に及んでしまう やはり十年前と私の推測は変わらない 「ジャックマイヨールは人間であることに限界を感じたのだ だから首吊りとはいえ ジャックマイヨールは海に還ったのだ」 としか説明がつかない 別に自殺に説明など不要なのかもしれないが なんにでも理由づけをしたいのが人間の性だと思う 私は知りたかった ジャックマイヨールが感じてしまった絶望について


 けれど私みたいな凡人に ジャックマイヨールやマザーテレサが感じたことについては やはり知ることは不可能なのである 人の心など分からない 死んだ人の気持ちならなおさらである 私は父の本当の絶望さえも分からないのだから それでも「知りたいという熱病」に侵され始めると もう止まらない 書かずにはおれないのだ 知りたいというあくなき欲求がフツフツと込み上げてくるのである そして調べ始めてしまう 分からないことも 分からないなりに考えたいのである 


 答えが欲しい 不可解ないことにも なにか理由はあるだろうと推測することは決して悪くないことだと思ってる でも果たして意味があるかと聞かれれば答えに詰まる 意味、、、そもそも意味のあることなんて本当にあるんだろうか? と時々 怖くなる もし世界になんの意味もなかったら 私は自分が生きてることの意味を喪失してしまう それがどんなに恐ろしいことか 想像したくもない きっと世界に意味はある そう信じないと足元からズブズブと沈んでいくような底なしの恐怖に襲われる


 はっ もしかして偉人たちが垣間見た世界とは 「世界に意味などない」 という怪物ではなかったかと今にして思う もしそうなら自殺しても神を疑っても冒涜しても おかしくはない そうか「意味の喪失」というのはブラックホールのような 「すべての現象は無意味だ」 という普通では考えられない状態かもしれない


 極限に達した偉人たちが見てしまった世界 それは 「意味の喪失」 という世界の巨大な理不尽さではなかったか ようやくこのテーマにピリオドを打てそうだと直感する ジャックマイヨールもマザーテレサもキューブラーロスも知ってしまった 「世界は無意味だ」と でもそんなことは凡人の私が知れることではない 意味の喪失など 底なし沼に落ちてしまうようなものだ そんな底なし沼で生き続けた三者はやはり偉人であった思う 人間としての限界を感じながら生きることは苦しい きっと苦しい ジャックマイヨールはそのことを自殺という形で知らしめたのではないか マザーテレサは神父たちに密かに懺悔し続けることで正気を保ったのではないか 


 なぜ そんな大きな十字架を背負ってまで 偉人として生きねばならないのかと思う 理不尽であり虚しかったであろう そんな陳腐な言葉で片付けてはいけないが 私にはこれが言語を使うことの限界だ 世界はまとまりをもって存在する と感じているから私たちは 当たり前に この世界を生きている でも ある日突然 意味を喪失したら? ゾッとする そんなの無理だと思う 私には到底 耐えられないだろう 生きていられないだろう そう 意味を感じているから私たちは生きられるんだ


 偉人を敬う一方で 私は同じ人間として 三者の内実の惨さに悲しみを覚える 分かち合うことなどできないが こうして語り継ぐ人間がいる限り 偉人はそこに生き続けるであろう