わたくしはその日も  いつも通り約翰(ヨハネ)教会に向かっていました

わたくしはこの約翰教会に棄てられた孤児でした   ですので   わたくしはキリスト教系の孤児院で育ちました   母を存じ上げませんが   母はわたくしにマリアという大それた名前だけを残し消えてしまいました   牧師様夫妻はそんなわたくしに   いつもお心優しく接してくださいます   ですので教会でお手伝いをするようになったのは自然の流れでした

この教会の二階は託児所になっており   朝から   ひっきりなしに子供がやって来ます   わたくしはこの託児所で子供たちに勉強や   イエス様の生涯が描かれた絵本の   読み聞かせなどを行っております

約翰教会は   牧師様の意向で教会に鍵はかかっておりません   「教会に鍵はいらないだろう   ここは誰もが入ってきて神に救いを求めても良いのです」   と牧師様はおっしゃいました  牧師様らしいな   と思いました

教会に到着して扉を開くと牧師様はまだいらしておらず   電気はついておりませんでした   わたくしは十字架に磔にされたイエス様の前にひざまずき  毎朝の日課であるお祈りを捧げようとしました

その時です   ガタッと音が鳴りました   すると牧師様がいつも日曜のミサなどでお使いになる   壇上のテーブルの足元に   コの字の形にピッタリと小さくはまり込んでいる『何か』がいました   わたくしは思わず驚いて飛び退いてしまいました   動物かしら?   本当にそう思ったんです   彼はまるで本物の犬のようだったのです   彼はわたくしに気がつくと  ギョッとものすごく強い視線でわたくしを見つめました  

「大丈夫です    安心してください   わたくしはあなたの味方ですよ」

わたくしはこの教会に逃げ込んでくる方々にはいつも   このように申し上げます   外国の方でも意味は分からなくとも   ニュアンスやイントネーションで皆   安心してくださるからです   でもその男性は違いました   言葉を決して発することはなく   わたくしの腕を鷲掴みにすると外に連れて行こうとしました   わたくしは怖くなり教会の入り口で叫んでしまいました

近所の方々が心配してくださり表へ出て来てくださいました   そして5人の男手により彼は取り押さえられました

「どうする?   警察呼ぶか?」

「いえ、、、あの、、、」

そのとき牧師様が到着されました   わたくしは牧師様が   すぐに警察などお呼びにならないことを知っておりましたので   わたくしが急いで詳しい経緯を説明すると   牧師様は   警察を呼ぶ必要はありません   と皆様に告げました   そして牧師様とわたくしは   彼を解放するようお願いしました   牧師様が彼に

「名前は?」

と尋ねました   しかし彼はギョッと目を見開いたまま牧師様を見つめます   

「どこから来たの?」

彼は答えませんでした

「マリア   彼は知的障害があるのかもしれない   または記憶喪失かもしれない   しばらく僕のうちで預かろうと思う   協力してくれるね」

「あ、はい」

でもわたくしはまだ彼が怖かったのです   すると彼は突然ソワソワし始めると   走りだし教会の外で  なんと大便をしているではないですか!   わたくしは急いで便を始末し彼に言いました

「こんなことをしてはいけませんよ」

彼は黙ったままです   わたくしは途方に暮れました   すると再び彼は牧師様の腕を掴むと引っ張ります   わたくしが止めようとすると牧師様がおっしゃいました

「マリア   構わない   彼について行ってみよう」

「はい、、、」

牧師様とわたくしは彼について行きました   約翰教会からほど近いアパートの一室に着きました

「ここ?」

牧師様が聞きます   彼はもちろん答えません   彼はアパートのドアを開けると   なんと中には男性の遺体があるではありませんか   牧師様は取り乱すことなく彼にお聞きになりました

「この方は誰?   ここは君の家?」

彼は黙ったままです   結局   警察に通報をいたしまして   遺体の男性の身元が分かりました   真田 太郎さん64歳   教会に逃げ込んで来た彼の父親でした   死因は心筋梗塞   真田さん親子は朝になると二人で仕事に出かけていたといいます   つまり彼は働けるということなのかと不思議に思いました   事情聴取のあと   わたくしたちは教会へと戻りました

「お父さんが太郎なら   君はコタロウだ」

と牧師様はおっしゃりました

コタロウ、、、本当に犬だなと思いました   その晩は   コタロウも交えて食事をすることとなりました   コタロウはバケツをひっくり返したかのようにビーフシチューを飲み干し   皿を舐めまわしました   コタロウはまるで狼に育てられたアマラとカマラのようです

翌日   コタロウは牧師様と教会へやって来て   昼間は託児所でわたくしが面倒を見ることとなりました   コタロウは部屋の隅っこに体育座りをしたまま   ギョロギョロした目で子供たちを見ていました   お昼寝の時間もコタロウは起きていました   子供たちが寝たあと   コタロウは『イエスの生涯』という絵本を手にとって仕切りに眺めています   磔にされたイエス様をじっと見つめるので

「イエス様は人類のすべての罪を背負って   十字架に磔にされたのですよ」

するとコタロウがイエス様を指でなぞりながら泣いていたのです   驚きました   伝わったのでしょうか?   その夜   牧師様にこのことを伝えると牧師様はたいそう喜びました

「コタロウに聖書が読めるようにしなくてはね   ここへ来たのも何かの運命   僕はなんとしてもコタロウへ聖書という光を与えなくては」

「はい   それは素晴らしいご使命だと思います」

本当にそう思いました   牧師様は崇高なご使命を得た者のような   神々しいご尊顔をされておりました   


まず  はじめにことばがあり
ことばは神とともにあり
ことばは神でありました

すべてのことはことばによって成り
ことばによらず成ったものは何一つなく
ことばにおいて成ったものは命であり
命は光でありました

光は闇の中に輝き
光は世界にみちたのです



翌日の夕方にソーシャルワーカーの竹田さんがおいでになりました   コタロウのことを聞きつけたようです

「こんにちは   マリアさんお久しぶりです   早速ですけど   牧師様と例の彼に会わせてくださいませんか?」

開口一番に竹田さんは言いました

「こんにちは   ただいま牧師様とコタロウを呼んでまいります」

わたくしは牧師様とコタロウを呼びに走りました

「こんにちは竹田さん   今日はどうなさいましたか?」

牧師様がおっしゃると

「彼と少し話をさせてください」

「分かりました   コタロウこちらへ」

牧師様がコタロウに手招きすると   コタロウは犬のようにトコトコと竹田さんの前に座りました   竹田さんは

「はじめましてソーシャルワーカーの竹田です   お名前は?」

するとコタロウは顔の前で大きくバッテンをするのでした

竹田さんは

「マリアさん   紙と絵筆を持って来てくださる?   あと塗り絵と色鉛筆と囲碁もね」

わたくしは託児所から   それらを持ってきました   竹田さんは最初   紙と鉛筆で筆談を試みましたが   コタロウは再びバッテンと顔の前でやります   次に竹田さんは塗り絵をコタロウの前に置き   竹田さんは塗り絵を始めました   そして色鉛筆をコタロウへ手渡すと   コタロウはキチンと塗り絵を始めました

「へー   とっても上手ね   では次にこれね   これで最後」

と言って囲碁をコタロウの前に並べました   最初   竹田さんは黒と白の囲碁を交互に積み重ねていきます   そしてコタロウに囲碁を渡します   コタロウは竹田さんと同じように黒と白の囲碁を交互に積み重ねていきます   次に竹田さんは白と白   黒と黒を連続で積み重ねていきます   コタロウは止まってしまいました   しかし   しばらくするとコタロウは囲碁を竹田さんと同じように積み重ねたのです   どうやら竹田さんの意図するルールを理解したようです   コタロウは没頭していきます

「マリアさん   できるだけ大きな鍋とオタマ持って来てください」

「はい」

わたくしは配給用の大きな鍋とオタマを持って行きました

「そのまま   コタロウ君に気づかれないようにオタマでできるだけ大きな音で鍋を叩いて」

わたくしは言われるがままに夢中で鍋をゴンゴン叩きました   アタマがおかしくなるほど大きな音が教会に響きます   コタロウは微動だにせず囲碁のゲームに夢中です

「耳かあ」

と竹田さんが呟きました   わたくしは何がなんだか分からず   その場にしゃがみ込んでしまいました

「マリアさん   ありがとう   彼は知的障害ではありません   聴覚障害者です   耳が聞こえないのです   彼は言葉を知りません   彼に何を言っても通じないんです   彼を “ろうあ施設” に預けましょう」

と竹田さんが言うと   牧師様は首を振りました

「いえ   コタロウはこの教会に自分からやって来たのです   これは神のご意志です   僕に   コタロウに言葉という光を与える   という崇高な使命です   彼に必要なのは神による救いのみ   施設になど入れるわけにはいきません」

牧師様の口癖は「精神病院と施設には入ったらなりません」でした   だから当然のことだったと思います   でも竹田さんは語気を強めて言いました

「コタロウくんは   無音の世界に生きています   言葉を知らないということは概念が無いことを意味します   それがどんなことか分かりますか?   人間は2~4歳のあいだに   ほとんどの母国語を親の会話から聞き取り複雑な文法も短期間で覚えます   言語習得の方法は世界共通です   この時期に言葉の習得を失うと   言葉の習得は実に困難なんです   コタロウくんはその大事な時期を逸している   それは言葉の喪失を意味するのです   それがどんなに深刻な事態かあなたはわかっていません」

しかし牧師様の意志は固かったのです

「いえ   コタロウには僕が言葉を教えます   言葉が無理なら文字で教えます   ろうあ施設はお断りします」

竹田さんは顔を赤くし言いました

「それは絶対に無理です   あなたは耳が聞こえないということが   どういうことかわかっていない   文字の意味を知らないコタロウくんにどうやって文字を教えますか?   あなたは手話はできますか?   点字が読めますか?   コタロウくんの年齢で言葉や概念を知らないというのは本当に難しい問題なんです」

それでも牧師様は丁寧におっしゃりました

「お引き取りください   コタロウの身元引受人は僕たち夫婦がなります」

竹田さんは何か言いたそうでしたが渋々と帰って行かれました

それから牧師様は   コタロウへの言葉の猛レッスンを始めました   時に逃げ回るコタロウを無理やり連れ戻し   コタロウの喉の奥に指を突っ込んで声帯の震わせ方を教えたりしました   それはもう鬼気迫るものがありました   見ていて痛々しいほどです   奥様とわたくしは影ながら見守るしかできませんでした


そして   あの日のことを思うと今でも本当に胸が苦しくなります


毎年恒例のクリスマス会を約翰教会では行なっています   今年も皆で賛美歌を歌い   手作りのケーキがふる舞われました   プレゼントを貰った子供たちは大喜びです   皆が口々にメリークリスマス!   と帰って行きます   でもコタロウにはメリークリスマスの意味さえ分からない   コタロウは   いつにもまして元気がなく疲れている様子でした   孤独が深まっているように見えます   そうです   コタロウは十字架に磔にされ   人類のすべての罪を背負っているイエス様と同じなのです

クリスマス会のあと   婦人会の方々を招いて毎年   晩餐会をひらいています   今年も『最後の晩餐』のように   テーブルをコの字型に並べ   赤ワインやパン、七面鳥を支度しました   もちろんコタロウも一緒です   そしてソーシャルワーカーの竹田さんも招きました

皆がテーブルにつくと牧師様が静かに話し始めました

「今宵   皆様は神の光を見ることとなります  ヨハネの福音を思い出してください   まずはじめにことばはあり    ことばは神とともにあり ことばは神でありました、、、」

牧師様はコタロウに目配せすると   コタロウは立ち上がりました   そして

「ぼおーーーーーーーうはーー!!!」

それは悲痛に満ちた叫び声のようでした   おそらく「僕は」と言ったのだと思います

「さあーーなーーーーだーーーーーーでーーーーーーすううううううーーーーーー!!!!」

その時でした   コタロウは片っ端からテーブルをひっくり返し   床は赤ワインで鮮血のようにぬらぬらと光っていました   飛び散ったパン  礼拝堂はメチャクチャでした   奥様は両手で口を塞いでいます   竹田さんは泣いているようでした   竹田さんは暴れるコタロウに駆け寄り   コタロウを強く抱きしめました   それでももがくコタロウを竹田さんは離しませんでした

「ごめんね   ごめんね   許してね、、、」

どうして竹田さんが謝っているのか分かりませんでした   いいえ   本当は知ってたんだと思います   だってわたくしも謝りたかったんです   ただ見て見ぬ振りをして来ただけで本当はコタロウの辛さも孤独も苦悩も知っていました   わたくしはコタロウのことを思うと涙がとまりませんでした

でも悲しいだけではありません   この世界から   なんとか飛び出そうと暴れるコタロウの姿は   むしろ清々しく感動すら覚えたのでした   「人間はこうあるべき」とか「人間はこうでなくてはならない」という縛りが   わたくしの中から吹き飛ぶ瞬間でした

牧師様は胸の十字架を握ると   目をつむったまま

「主よ、、、」

と小さくおっしゃっただけでした   いったい牧師様が何を思っているのか   わたくしには分かりませんでした   他人の心を知ることはできないのです 愛をもっても   正しさをもっても   他人の心を知ることはできないのです


コタロウが全寮制のろうあ施設に入所したのは   それからまもなくでした   牧師様はうちから通わせるからとおっしゃりましたが   竹田さんは寮を勧めました   コタロウのように言葉を習得していない成人者は   全寮制で手話漬けにならないと言葉を覚えられないと   しかしコタロウがどこまで言葉を習得するかは未知数だと、、、



あの日以来わたくしは   約翰教会へ徐々に足が遠のきました   意図的ではなく自然とそうなったのです   コタロウとの出会いを通して   自分にはやるべきことがあると感じたのです   生まれてこのかた声帯を震わせて話したことのない   ろうあ者に声を出させるのは虐待に近いのだそうです   だからといって牧師様を責めることは   わたくしにはとてもできません

わたくしは現在   言語聴覚士の養成学校に通っています   ソーシャルワーカーの竹田さんに相談するなどして   就労前のろうあ者の支援がしたかったからです

ここまで来るのに一年もかかってしまいました   コタロウの通う施設です   コタロウはこの施設では真田 誠と呼ばれていました   コタロウの本名です   コタロウは   わたくしが人間で女で   世界のあらゆるものに名前があることも知らないまま別れてしまいました   

コタロウはスタッフの方に付き添われ面会室に現れました   そしてスタッフの方が

「彼はまだ疑問符の意味が分かりません   疑問の意味が分からないのです   疑問符はナカナカ習得することは難しいんです」

「そうですか   勉強になります」

コタロウが手話で何か言った

「彼はあなたの名前を知りたがっています」

そうです   コタロウはすべてのものに名前があることを理解したのです   わたくしは初めて覚えた拙い手話で答えました

「私の名前はマ  リ  ア」

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