心のブレーキを外して、自由自在の人生設計を実現! -7ページ目

心のブレーキを外して、自由自在の人生設計を実現!

人生は、わたしが主人公!
思考は現実になっていく。思い描く未来を書きつづり、潜在意識にインプット!

潤いのある心豊かな未来を逆算して、今を生きよう!

秋が過ぎ、冬を感じる今日

 

今年も2ヶ月を切りました。

 

 

昨日の内容は、5年前に母が癌となり、

 

二度の手術を受け、その直後

 

父も癌と診断されたものでした。

 

 

市の検診バスで検査を行った父でしたが

 

タバコが増えたせいか、咳き込むことが多く

 

その時すでに肺がんであろうとの

 

診断でした。

 

 

正式に通知を受け、やっぱり…と

 

いったところでしたが、病院に立ち会い

 

今度は父が余命半年との宣告を受けました。

 

 

もう本当に我が家はどうなっているのだろう、と

 

思いながら、母の時に散々気落ちしたせいか

 

どことなく余裕のあった私でした。

 

 

母の治療を目の当たりにして

 

標準治療は避けたいと思いながら

 

なかなか素人の私たちでは限界があると…

 

 

癌になった父の知人からまずは情報収集を、

 

ということで始まった父の癌治療検索

 

 

母に次ぐ癌宣告は、意外にも冷静に

 

治療を探しに繋がりました。

 

 

結果的に、自宅から約1時間半離れた総合病院で

 

治療を受けることになった父でしたが、

 

病院生活が初めてとなり病院食が美味しくないとの

 

ことで体重が減り続け、治療が断念しかかりました。

 

 

母は二度の手術で体が弱っていたので、

 

私たち三人で変わり代わりに父の入院する病院へ

 

食事を運びました。

 

 

 

今思うと、三人でよく頑張れた、と…

 

 

 

食事を食べさせた後、

 

おぼつかない足元の父でしたが、

 

いつも病院の出入り口まで見送ってくれては

 

そこにあるベンチに二人して座り、

 

取り留めのない会話に別れを惜しむ

 

父の思いが伝わり…

 

 

私が帰ると、また一人の時間を過ごすことになる父に

 

「また来るね!」となかなか言い出せなかった私

 

 

 

肺が弱って、体重が40キロを切ってしまって

 

痩せ細った父

 

 

見送ってくれた父をよそ目に

 

駐車場まで行くふりをしては、

 

父の後をつけ、病室に入るところを

 

いつも見届けていました。

 

 

 

帰る車の中で、

 

壁にある手摺りを持ちながら、

 

病室までヨタヨタ歩く父の後ろ姿を思い出し

 

涙することもありました。

 

 

 

今、思い出しただけでも涙腺が緩みます。

 

 

 

先生方の寛大なご理解により、

 

病院食を食べないことを許されたことから

 

喫茶店でモーニングを食べるなど

 

優遇された患者でした(笑)

 

 

 

そして、父が落ち着き

 

二度の手術で完治したと思っていた母は

 

一年後の定期検診のセカンドオピニオンで

 

癌の再発が見つかりました。

 

 

 

ここから、抗がん剤の治療が始まり、

 

現在に至ります。

 

 

 

先月、「余命1、2ヶ月」との宣告を受けたことから

 

抗がん剤をやめました。

 

そして、最後の賭けとなりますが

 

標準治療外の治療に取りかかり始めたところです。

 

 

これが、我が家のここ近年の想定外です。

 

 

私自身、人生経験として

 

受け止めることができるようになりました。

 

 

辛いことは、無いに越したことはありませんが

 

両親が与えてくれた人生経験の場かもしれない、と

 

受け止めています。