「あまくておいしい有希子のテレビ」という、ちょっと不思議なコピー。
かつて岡田有希子さんが起用された、カラフルなポータブルテレビのCMで使われていたようです。
最近ユッコさんの声でこの惹句を耳にしたのですが、なぜかわたしの頭に浮かんだのは。
あまくもおいしくもない、かわいいテレビともかけ離れた、かつて存在したある機関車のことでした。
どことなく、彼女と似ている気がしたから。
……
DD54型ディーゼル機関車。
1966年に初号機が完成。67年生まれのユッコさんと、ほぼ同世代です。
当時まだ現役で走っていた山陰地方の蒸気機関車の、盛大に吐き出す煙をなくす目的で、71年までに40両がつくられました。
先輩にあたるDD51型の文鎮みたいな外観とは違う、いまも古さを感じない素敵なデザインの赤い機関車。エンジンや変速機は西ドイツのメーカーと提携して設計された、当時最先端のものでした。
この機関車について特筆すべきは、日本の鉄道車両のなかでも、極端に短命だったこと。
最新鋭だったにもかかわらず、わずか12年後の78年には、なんと全ての車両が廃車となってしまいます。
発端は、走行中にエンジンと動輪を繋ぐ推進軸が折れ、線路に突き刺さり「棒高跳び」状態となって脱線転覆するという、ありえない事故が起きたことでした。
その後も故障や事故が続いたあげく、機関車として失敗作との烙印を押されてしまいます。
どうしてそのようなことになったのでしょうか?
遠い欧州の先進技術でつくられた心臓部をはじめとする、複雑で精緻を極めた機械。
これを保守するために必要な技術力が、当時の国鉄やメーカーに足りなかったから、とする説があります。
早熟な少女のなかの、繊細で敏感な心。激しく揺らいでしまったそのとき、大人たちは彼女を守りきれなかった。
全然関係ないのですが…わたしはどうしても、ユッコさんのことを重ねずにはいられません。
そんな悲運のディーゼル機関車・DD54型にも、およそ1年半という短い期間ながら華やかな活躍のときがありました。
ユッコさんがうたった「二人のブルー・トレイン」のモデルといわれた列車、寝台特急「出雲」の牽引です。
深い緑に抱かれた、朝もやにかすむ湖を臨む二本のレール。
青い列車の先頭に立つ、美しく輝く赤い機関車が、かつてそこに確かに存在していました。
photo by yukikostarlight
もしよろしければ、↓こちらへもご乗車いただけると嬉しいです…
少しでも「へー」と思ったあなた、「いいね」してくださいね!ブログを続ける励みになります。
もしよろしければ、「記事一覧」から他の記事も読んでいただけると嬉しいです、過去記事へのいいね大歓迎です!