「創造することは抵抗すること。抵抗することは創造すること。」
ナチズムに対するレジスタンス活動に参加し、第二次大戦後は外交官として世界人権宣言の起案にも関わったステファン・エセルの言葉だ。
この言葉を噛み締めたい。
東京都知事選は、候補者はとりあえずおいておいて、そのまわりの人の行動に疑問を持った。
脱原発派で一本化できたら、良かったと思う。
けれど、一本化できないからといって、これまで脱原発運動の先頭をきってきた人たちが「細川支持します」と表明し、支持を呼びかけたことは間違いだったと思う。
その前提として、ひとりひとりが声をあげてきた行動なのに「有名人頼み」な面があったことは反省する。
しかし、一本化できない時点で、仕方ない、それぞれガンバローとならなかった。
元首相の知名度に頼った、これまた「有名人頼み」になってしまった。
選挙に勝たなきゃ意味はない
という意見も理解できる。
原発止めるためにはなんでもするのが政治だ
という考えもあるだろう。
しかし、私が知る限り、細川支持していた人々は物凄く葛藤していた。
なぜなら、今まで細川や小泉がしてきた政治を批判してきた人たちだから。
その葛藤は正しいと思う。
以下の分析を見ても、脱原発以外は全然政策の違う二人だもの。
というか、たぶん根本が違う。
一本化はもとより無理な話だったのだ。
◆「脱原発」はほんとうに争点なのか――トリックアートとしての都知事選 ポリタス 「東京都知事選2014」を考える http://politas.jp/articles/57
「権力を持つ人になんとかしてもらう」のではなく「私たちがなんとかする」ことが未来を切り拓くと信じる。
チュニジア、フランス、スペイン、アラブの若者たちの巨大非暴力行動を見てみよう。
◆大ベストセラー、ステファン・エセル『怒れ!憤れ!』
映画 予告編http://www.youtube.com/watch?v=dPc4cFQPCmM&sns=tw
「日本の国民性的に、あんなの無理」っていうのは、たぶん違う。
そもそも、国民性ってなんぞや?
日本にも自由民権運動や大正デモクラシーがあった。
戦争の記憶が生々しい時期、国会を40万人で包囲して日米安保条約に反対したのも、学生運動も、写真でしか見たことないけど、確かにあった。
悶々としていたけれど、下記のコラムは看過できなかった。
で、東京新聞に投稿してみた。
おそらく採用されないので、ここに貼り付けます。ぺたぺた。
◆2月10日付 「筆洗」
東京新聞:米大リーグ・ドジャースのかつての名将、トミー・ラソーダさん…:社説・コラム(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014021002000100.html
◆投稿原稿
都知事選が終わった。もとより誰を支持しようと個人の自由だ。しかし、本紙2月10日付の「筆洗」は看過できない。
元首相について私が忘れていないのは原発を止めなかったことではなく、「積極支持したイラク戦争で10万人以上が殺されたこと、今でも劣化ウラン弾の被ばくによって子どもたちが白血病で苦しんでいること」「格差社会を作り出し貧者を死に追いやったこと」である。
今でも東京では路上生活やネット難民を余儀無くされ、人知れず亡くなる人がいる。福祉が削られれば、明日にも死にゆく人がいるのだ。それを軽視して「原発は命の問題」と叫ぶことは空虚だ。
原発は命に関わる問題だが、命の危機の最前線に立たされているのは原発作業員だ。彼らがそこにいる理由は、原発が格差・差別の上に成り立っているからだ。
福島で子ども時代を過ごした私はそれを猛烈に痛感している。
誰かを犠牲にすることを容認する政治に、原発をなくすことはできない。
必要なのは戦略や葛藤ではなく、私たちが真に望む社会のために行動することだ。
街頭インタビューでは「東京には原発はありませんから」という声もあった。
私は、その言葉の破壊力に打ちのめされそうになった。
東京の電気はどこでつくっていたの?今4号機に何かあったらどうするの?
…そして、凄まじい投票率の低さ。
他人任せではなく、私たちの手に政治を取り戻そう。
未来は私たちがつくる。
あきらめない限り終わりはない。
抵抗は始まったばかりだ。