おはようございます。
パーソナルエステティックツキヨミ セラピストYUKIです。



今日は残念ながらツキヨミの話ではありません。
しかも長い。お時間許す方、それでも良いという方だけお進み下さい。




4月4日にちなんで『死』のお話を。
というか偶然なんですが。
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実はこの度父方の祖母が亡くなりました。



享年105歳


私の父が1年半の脳のリンパ腫(松方弘樹さんと同病気)の闘病生活の末、亡くなったのは、今から4ヶ月もみたない去年の12月の初旬。





今回祖母の永眠の報告を聞いた瞬間、父が連れて行ってくれたんだ。とすぐわかりました。
(祖母は飲みスケ、女グセの祖父より息子の父に依存していました。父が貧しい家の家計を高校時代から支えていた)







祖母はいわゆる寝たきり介護でした。







父がなくなりお墓のことで祖母のところに行ったのは今年の1月。




前回ははなしかけても終始無言を貫き通されコンタクトとれず・・・チーン惨敗で帰ったのですが。



今回はおばあちゃーん!来たよー!
と耳元ではなしかけたら。



「ナンタラカンタラ・・・ソーレーヨイヨイ?」



「んん!?!?」


と歯もないので最初何言ってるかわからなかったのですが、母がヨサコイを歌ってるわ。と一言。



と言っておばあちゃんの横でヨサコイ音頭を歌いだしました。




その時つぶらーなつぶらーなおばあちゃんの目が開いてちょっとの間、私は目を合わせおばあちゃんと魂の会話をしました。





その時、水車の歯車がそっと止まるようにおばあちゃんは息を引き取るのではないかと感じたのでしっかりおばあちゃんの存在を味わいました。




それがおばあちゃんとの最後です。





そしてその通り
老衰で眠るように亡くなった祖母。


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昨日までいた人がいなくなること。



目の前にあるご遺体はもうその人ではありません。



目の前にあるものは、確かに手触りも何もかもその人には違いありません。でもそこにはいない。



私は去年の12月父の息を引き取る瞬間は看取れず、亡くなった15分後に病院に到着しました。




その手は柔らかくて暖かかった。
 



今にも握り返してくれそうなその手は、まださっきまで生きていたのがわかった。





顔を見たら穏やかな顔をしてて。
あぁ、楽になってよかったね。って思いました。





死を悲しいものに仕立てあげるのは、私達が感情を伴う唯一の生き物だからです。





頭が発達しすぎて脳ミソがその人との思い出に感情をくっつけて覚えちゃうから、その人を失うと自覚したときになにかとてつもない喪失感を覚えるのだと思います。






人は変化を嫌がる生き物です。
だから死んで欲しくないと思うのです。







でもみなそれぞれ、
役目が終わったら今世は旅立つんだなといつしか思うように私はなりました。





それは時に側にいる人へのメッセージとしての役目かもしれません。






目に見えるものより、目に見えないものでこの世の中はできている。





私達がこの世界に感情を持って、肉体を持って産まれてきたことは生きることを味わうために産まれてきたのだと私は思っています。






愛するためにうまれてきたとか
志のためにうまれてきたとか
役に立つためにうまれてきたとか




そんなきれいごとのくくりじゃなくて、





人間として生きる事でしか味わえない世界があるから生を望んで生まれてきたのだと思います。





宇宙では、肉体がないからどこでも行けるそうです。
何万光年離れていようと、縛りがないそうです。





まじ?
木星行ってみたい!!
死んでみてー(ウソです)






精神世界を突き進む人は、世間離れしている人が多いです。
昔の人は現代よりずば抜けて霊性が高く宇宙の神秘のリズムとか自然の力を利用して生きてきました。





現代は精神と肉体があまりにも離れすぎてしまっています。
それは近代化や、西欧文化、ITの発達など人間が能力を開花した結果です。





それはそれで素晴らしいものなのだけど、なにか忘れてきてしまっているものはないか







それを医療が発達する一方で、増え続ける病気や新しい病の出現が表しているように思えてなりません。







目に見えないものを信じれる人は強いです。






誰かを愛する気持ちは、他の人からは見えない。
でも間違いなくその人の心が誰かを想っているのはゆるぎない事実。








それを自分を信じる力にシフトするのです。






人は弱くて愚かで醜くてカッコ悪いことや人には言えない過去など多かれ少なかれあります。






でもそこを見ないふりをするのでなく、知っておくのです。それも愛しき自分。それが生きることだから。








あぁ今私はこう思っているとか、どんなことに対して連鎖的な反応をするのかとかを気づいて見てください。






人間は理性があるからこそ、集団生活を守るために社会のルールや秩序を決める必要がありました。







個性ばかりを認めていては、社会生活が保てないから、ある基準のルールを決める。
そこに正しいか正しくないかを当てはめてきた。



 


その判断基準は楽です。
ものの真理は見なくていいから。





でも、気づきだした人が増えてきた時代なのだと思います。





それだけ私達は、豊かな幸せな時代になったのだと思います。
 






おばあちゃんが生まれた時代は戦争中でした。愛する人を失ったり離れたりを10代で経験します。
みんな現代人より濃縮した人生だったと思う。





昔は飢餓に飢え必死に生きた
現代は飽和に溢れ自分を見失う





自分自身のことも含め、改めて色々感謝することが、目の前に溢れていると感じました。









話がまたまたぶっ飛びすぎたからここでおしまいっ照れ




祖母のお葬式が終わり。




意地でもブログを毎日更新するぞという思いから、下書きしてた文章を変更しようと思っていましたが。

今日は、家族の諸問題とか色々ありすぎてやはりブログの校正できる気力がなく。



このままUPします〜。ツキヨミネタじゃなくてごめんなさい〜!



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先日、昔からの知人がリッツカールトン大阪でパーティを開催し招待して頂いたのでその写真をひょっこり載せておいて〆とします(笑)ドレスコードはロングドレス。
彼女も大切な人を亡くして今すごい偉業を成し遂げているのでめちゃめちゃエネルギー貰いました。
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写真のメンバー皆様すごい人っ!↑


100人近いパーティでなぜか途中、スピーチまですることにっ!
恐るべし牡羊座の発進力〜!




内容はまた次回。


今日は最後までお付き合いくださった方本当にありがとうございますウインク