随分とご無沙汰しております。
instagramでご存知の方がいらっしゃると思いますが、
実は、昨年7月に父が他界し、その時から日本に帰国しております。
母が父の葬儀直後に倒れたため、今は広島の実家で母と暮らしています。母は元気に回復してきておりますのでご安心ください^^
instaの更新はマメにしておりましたが、こちらブログは随分ご無沙汰してしまってましたね^^;ごめんなさいっ。
そんな中、新曲ができましたので、ご報告します!
「ハカランダの想い〜メキシコの桜はムラサキ色〜」
実は、2年前に作っていたのですが、私自身、しばらく歌ってなかったため声量が弱くなってきたので投稿を躊躇していたのですが、
思い切って今回投稿することにしました。
(これから少し長文となります)
ハカランダは、メキシコに咲く紫色の花です。(Jacaranda=英語読みはジャカランダ。ブラジルではジャカランダと言う)
その昔(19世紀)、園芸家の松本辰五郎はメキシコに移住後、日本の外務省から桜をメキシコに送ることを相談されたが、桜が育つ環境ではなかったため、春に咲くブラジル原産のハカランダを提案したそうです。
私が4年前に留学のために渡米して移住手続きをするときに、書類の”移民”という言葉を見て少しドキッとしたんです。移住とか留学よりももっと重い言葉に感じてしまいました。
移民って明治時代の話だと思っていたから自分が移民に当たるとは思ってもいませんでした。
そうか私は、今”移民”なんだなぁ、つまりは”外国人”なんだという寂しい気持ちになってしまいました。(それは日本という島国で生まれ育ったからそう感じるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。よくわからないけど、、)
移住とか留学とかだと聞こえは良いけどね、移民には違いないのです。
でも、そう自覚して、なんだか緊張したのを覚えています。
そこで、明治時代の政府による移民政策について知りたくなりました。
それまでもウクレレを通じてハワイの移民については知っていましたが、南米への移民についても知りたくなりました。
日系メキシコ人にインタビューした写真家のYoutube「きおくのなかのくに」や、いろんな資料を見て衝撃を受けました。
その中でも、日本に行ったことのない日系3世の人のコメントが心につき刺さりました。
「日本語は話せないし、日本はまだ行ったことのない国だけど、その国を想像したり想うだけで、不思議と懐かしくなる」そして「とにかく誠実であれと教えられた」と。
流れる血が日本ということもあるけど、祖父母からの教えや、生活の中で自然と身についた日本文化があったのでしょうね。
私は渡米して2年目だったのですが、少しは当時の移民の人の気持ちがわかる気がしました。
言葉の弊害、文化の違い、それによる意思疎通の難しさ、強いメンタルが必要なこと、異国で生活することは楽しいことばかりではないという事。
ましてや、明治時代なんて、今に比べたら簡単に日本と連絡が取れない時代だったし、船で何ヶ月もかけないと帰れなかっただろうし、言葉の壁もあっただろうし、現代より強い精神力を持っていないと生きていけなかったんだと思う。
当時、メキシコのコーヒー畑で働く日本人の中には、あまりの過酷さに志半ばで逃げ出した人もいたらしいです。
そんな中でももちろんメキシコ人からの優しさを感じることもあったようです。
私はマイアミにいて、春に桜が恋しく思っていた頃、メキシコには桜に似た花があると聞いたので、調べたら「ハカランダ」にたどり着きました。
日本人なら誰しもが桜が好きで、望郷の心情におそわれる。桜が育たない国に、桜に似た花、ハカランダをブラジルから持ち込んだという松本辰五郎さんの気持ちが痛いほどわかる気がしました。
約120年前の当時、移民した人たちがどんな気持ちでハカランダを眺めていたのだろうか。
そう考えるうちに、おこがましくも、ハカランダの歌を作りたくなってしまいました。
日系3世である孫の視点で、移民の苦労、世代を超えて続いているであろう日本への望郷の想い、を歌詞にしました。
長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
今後、もっと練習して歌い込みたいと思います♪
※2025年1月末に収録。録画時は牡蠣に当たった直後のため、頬がコケてお見苦しいですが、ご容赦くださいませ😅