相変わらず不安定な気分。以前はそうでもなかったのに、排卵月経周期に振り回されているような感じでアップダウンを繰り返してる。そのうちに気分は低めやる気も外に出る気もなくなる。
最近、発達障害に関わることは自分よりちょっと遠いことなんだよなあ。でもFacebookではそういうグループに誘われて発言してる。相談は自分の自助グループのこととか、他人のことが多い。
誰かのために、ってやってるからうまく回らないのかな。発達障害をもつ人を思って一生懸命考えてやらないと駄目だ。
ウェブサイトも、自分の実験というよりはシンプルな方がいいのかもしれない。HTML5とか勉強のために本を読み出したけど、そういうのは自分のサイトでやるのがいいかも。
Google+は長い間ほったらかしだった。でも面白いことにTwitter友から招待されて、ちょっと自分のクラスタがわかんないってコメント入れたら、「ここいってみたら?」って教えてくれたり、自分で双極性障害のサークルを探して入ったり。しんどいことを言える場所ができたのはいい。
Facebookはいろんなつながりがある人ばっかりだから、あまり自分のしんどさは書きにくい。やっぱり心配されたし。
ウェブで面白いと思うことはしてるんだけど、これって能動的とは言わないよねえ。
いつになったら部屋が片付いて、台所でご飯を作って食べて、外で運動できる自分になれるのかな。それくらいになったら、もっと発達障害の自助活動にも力入れられるのに。
薬がしっかり効いてうまくいく、その日が続かないのはつらい。いつになったら、って絶望感まで出てくる。変わりたい、いい方に。でも手も足も半歩さえも出ない。時間薬はとうに使い切ってるよ。45歳今年46歳。父より3歳歳をとった。
何かしらの答えがでていなきゃ人生どうなる?ああ毎月の詩だけが救いかもしれないなあ。
頭がぼけっとしているうちに健忘症じゃなくて認知症になったら困る。言葉を使い、推敲し、書き捨てながらまた書くというのは脳にはいいはず。
手書きじゃないのがちょっと気にはなるけど。漢字がなかなか頭から出てこないから。
検索検索で何とか乗り切ってきたけど、いろんな知識だけじゃなくてやっぱり知恵なんだね。
どうしたら読みやすく頭に残りやすいか、そういう知恵は知識じゃうまくいかない。
出る言葉は自分の言葉なんだもの。それを言い換えることは知識じゃない。詩景を書き綴ってそれを削り削って、書き直しまでするのをいとわない、そういうのを集中できるってことは、たぶん詩が嫌いじゃない、むしろ取り憑かれているのかも?
自動筆記、的なことは最近やってない。後から気分がそうとう悪くなるから。過集中して視野狭窄、周りの音は聞こえない、ヘッドホンからの音楽だけが流れていて閃き待ち。それは双極性障害には良くない行動だよねえ。スイッチ入ってオフのやり方が下手なんだもの。
やれやれつれづれ書くと終わりそうもない。