多分鬱が落ちているというのとはまた別、と思います。結局ダラダラ付き合いを切れずにいた男性のことと、自分とのことを思い出して、上手く行かないことで悲観的な感情がでている状態です。
こうやって自分の感情を分析するのも本当は嫌なんですが、躁鬱の波なのかそうでないのかつかんでいないと前兆がわからないわけですから、しょうがないんですよね。
私は昔からそうですが、付き合う相手によって態度が変わる人間です。鏡のように。優しく、できないことは待っていてくれたり手伝ってくれたりし、何か上手くできたりして見せたら褒めてくれたりとか、そういうタイプの人にはあまり怒らず、自分もおとなしい部分を出せてのんびりと「自分らしく」生きれる感じがします。但し、ちゃんと甘えすぎないように気をつけないといけませんが。
反対に、自分にも厳しいけど恋人や妻などにも厳しい人や、無頓着に意地悪いことをいってからかったり、ちっとも私に自信を与えてくれないタイプだと、私の言葉も態度もきつくなり、かわいげのない女になってしまいます。
最近では、障害の話をちゃんとしとこうと思って、軽く話をしたり、その時々に「それはどうしてもできない脳なのよ」というと、
「病気じゃないから気にするな」「個性だよ」「病気に逃げるな」等々、理解しようという気持ちさえない人もいるので、だんだん男性と付き合うということは難しいなぁ、と思うようになってきたんです。
本当の話をしたら避けられ、黙っていたら怒られたり避けられたり、別れが待っているなんて・・・
主治医は「まず一人で生きられるというほうが大事なんだから」といいますが、私だって人間なんです。独りぼっちは寂しいと思うし、ご夫婦を見ると羨ましいと思います。特に年配の方々で仲良くされているご夫婦は。
母に言えば必ず、「子どもを置いて別れた(最初の離婚)ことが悪いんじゃないの」と言います。でも、この障害を持っていて、いくら服薬してるとはいえ、難しい子ども(長男は重度の障害があり、多動がひどいのです)を育てながら、もう一人子どもを育てる、そしていない時間が長い夫にかわって家を切り盛りする、そんなことができたら、今の私はないでしょう。
今よりも目が曇り、酷い顔の写真を見れば、思い出します。
大阪に来て 恋愛をし結婚して子どもができても、やはりうまくいかずに調停離婚。それからもう6年が経とうとしていますが、自立して働くということは難しくなってきました。子どもが支えでしたが、その子どもとも会えない事態になり、立ち上がる気力を失ってしまったからかもしれません。
新しい人間関係を作ることが怖くなってきています。傷付くことを恐れるあまりに、卑屈になりやすいし、ちょっとした易しい言葉に惹かれ安くもなっていて・・・自分で危ういと思っています。こういう悩みや苦しみを話せる人が主治医以外にいないというのは寂しいです。主治医はやはりドクターですから、カウンセラーではありませんし、こういったことを話せるのは他の人でなければならないんです。でも、母にも理解されないし、妹は連絡がつかないし、同じ障害の仲間に話しても、同情以上のことにはならないから、話しにくいです。自分が大事だと思う人、私を必要としてくれる人、そんな人に聞いてもらいたい。
でも見つからなさそうだなぁ・・・と思うと切なくて。下手に普通に見えるような障害だけに、難しいから困るよ。