自分の中で一生懸命、キレイごとを並べ立てたり、
日々のモチベーションを上げようとアタマで必死に考えていても、
心の奥底ではいつも、
「あー、今年はさらに身動き取りづらいな」
「思いきり貧乏くじ引いちゃったような年だなあ」
なんて言う風に思っちゃっているかも知れない、ということをようやく自覚。

と、同時に、
「育児や家事などに要する時間=くたびれる時間」
というつよーい思い込みでがんじがらめになっている自分も発見。
あ、これは思い込みだったんだと枠を外したとたん、
気持ちがすーっと軽くなったのには驚きです。
その気づきのきっかけとなった出来事についてはまた後日。

今日は、そんな私に救いを与えてくれた・・
といっても過言ではないくらい、
ステキな本のご紹介を・・。
とはいっても、まだ読書中。
冒頭からじわーっときているので、
何度かこの本がらみのネタが登場するかも。

『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著、幻冬舎)

・置かれた場所に不平不満を持ち、
 他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、
 私は環境の奴隷でしかない。

・(置かれた場所で)咲くということは、仕方がないと
 諦めることではありません。
 それは自分が笑顔で幸せに生き、
 周囲の人々も幸せにすることによって、
 神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、
 証明することなのです。

・どうしても咲けない時もあります。
 雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、
 そんな時には無理に咲かなくてもいい。
 その代わりに、根を下へ下へと降ろして、
 根を張るのです。

これでなんとか過ごしたいなと。

 
置かれた場所で咲きなさい/幻冬舎

¥1,000
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最近、ほとんどガムを噛まなくなりました。

遠い昔すぎてきっかけなんてすっかり忘れてしまいましたが、
「ガムを噛まないと集中できない」
ずっと、そう思っていたんです。
中毒のように噛んでいたころなんて、1日1箱ペースで。

だから、喫煙者でなくたって、「吸わずにはいられない」気持ちがよーくわかる。

さあ、これから作業しよう!と思ってパソコンを開けたとき、横にガムがなかったら、
さあ大変! 「これじゃ仕事ができないーーー!」と、家の中をひっくり返して、
ガムのかけらを探す探す。
コンビニやキオスクに立ち寄ると、必ず新作をチェック。
「ガム=仕事のお守り」のような存在でした、本当についこの間までは!

ところが、
きっかけなんて全く思い当たらないし、ガムをやめようとも考えていなかったのに、
いつの間にか噛まなくなっていたんです。
ていうか、
噛まなくても普通に集中している自分に気づいたんです!

「執着を手放すと自由になれる」

おお、これか!!!と思わず、膝ポン☆
ガムを噛んでも噛まなくても、やらなくちゃいけないときは、頑張れるもの・・
まあ当たり前といっちゃそれまでですが、それを「カラダでしる」ことができました。
ガムがなくても生きていける・・すごくちっちゃいことなのに、それに気づいたとたん、
なんだか言葉に言い表せないほどの「自由」を手に入れたような感覚。

「●●がないとムリ」

他にもそんな風に定義づけて、よけいな苦労を背負い込んでいないか、改めてチェックしてみたいと思います。



GW明けから2回ほど「ホットヨガ」を体験。

驚きました!!!!!
ラジオ体操程度の動きしかしていないにも関わらず、カラダ中から汗がぶわーっと吹き出す、吹き出す。
(炭酸飲料やジュース、コーヒー、紅茶は大好きだけど)水を飲むのが大の苦手な私が、60分のレッスン時間内に余裕で1リットル飲み干せるので、代謝もアップ。
いやー、もっと早くからやっていれば良かった。。。
(とはいえ、今はスケジュール的に厳しいので、入会は秋からかな~)

そのレッスン中、つま先立ちをしてカラダを上にむかってうんと伸ばすポーズがあったのですが、呼吸の仕方によって、すぐにグラグラっとするし、視線をちょっとでもずらすとドスンと落ちてしまう・・。つまり、
「つま先立ち状態をキープ」(=静止)するのではなく、
「つま先立ち状態でいるよう集中し、たえず微調整をし続けること」なんだなと改めて実感しました。

「改めて」と書いたのは、実は5月12日に開催されたJCDA協会の大会で拝聴した
ノーマン・アムンドソン先生による基調講演でも、実際に立ち上がってつま先立ちを体験。
この、つま先立ちをするときのような体感こそがワークライフバランスであるというお話にいたく感銘を受けました。

ヨガでも講演でも、カラダを動かしたり、五感をフルに活用して得たことはすぐに腑に落ちる・・そんなことを学んだ5月でした☆(って、まだ終わってないけど、5月・・)