こんにちは。
ゆきこです。
「ひとを可哀想扱いするのをやめる」を実践中です。。。の続き ①
「ひとを可哀想扱いするのをやめる」を実践中です。。。の続き ②
「ひとを可哀想扱いするのをやめる」を実践中です。。。の続き ③
自分が『ひとを助けない』という
ザワザワを乗り越えると
まわりのひとは
『大丈夫だった』
『可哀想じゃなかった』
ことに氣付き始め
そして
そして
まわりのひとは
『優しかった』
ことにも氣付くのです。
母がすぐに救急車で大きな病院に行かずに
翌日、私に車で送ってもらおうとしたことが
母が母自身を大切にしていない
自ら不幸になる方へ進んでいる
ように感じて、そこにものすごい嫌悪感があったのですが
その嫌悪感をしっかり感じると
私の中に違う視点が現れました。
母は、その日に慌てて救急車で行くことよりも
翌日私の車で行くほうが安心できるから
そっちを選んだのかもしれない。
これね~
母はなんでも人任せにする
一人じゃ何にもできない人
とか
母が自分でできないことは全部私に押し付けてくる
私はいつも母のしりぬぐいをさせられる
って、私の思い込みが強いので
嫌悪感や怒りをノートに書きなぐるまで
全くそう思えないんです。
私のこの一連の記事を読んで、
最初っから「お母さん、その方が安心だったんじゃないの?」って思った人もいると思うんです。
これぞ、ザ・思い込み!!!
(゚д゚)!
こわいですね~
私の中では常に母は
私に面倒なことを押し付けてくる人
私に自分のしりぬぐいさせる人
なので、
そういう方向に自動的に捉えちゃうんです。
まあ、実際、そう思ってるから
これまでも、何度も何度もそういう場面に遭遇してきました。
そのたびに
「なんで私がこんなことまでやらんといけんのん」
「なんでも『わからん、できん』って言えば済むと思っとるじゃろ」
って腹の中で思いながら
一言もそれを口に出さずにやってきてたんですね。
態度には出てたと、私は思いますが
そういう態度をしてしまう自分に対して
親の面倒を見るのは当たり前のことなのにそれを嫌だと思う私はダメな人間だ…と
強い罪悪感を持ってました。
今回のことで
そこらへんがずいぶん軽くなりました(*^-^*)
で、
長くなったけど
その後、病院に行ってどうだったかというと…
かなり軽い脳梗塞!!!
即、入院!!!
でも、それを聞いたときにも
「もっと早く連れてきておけばよかった」
とかいう罪悪感もなく
「このタイミングでよかったんだな」
と素直に感じることができました。
前日にしっかり怒りや嫌悪感を感じたからかな~
そして、かかりつけの病院で紹介してもらった病院の雰囲氣がなんかすごーくよくって♡
安心して母をお願いできました。
病院によって、雰囲氣違うもんね~ (^^;