こんにちはニコニコ

 

たまたま、ある男性俳優さんのツイッターが目に入ったのですが、

その内容が、

 

(一部抜粋)

11年前、産婦人科の待合室で辛抱できず泣きじゃくっていた女性の姿を忘れないでいようと思う。

そして生まれてきた命は、すべて、すべてとびきりの奇跡なんだと、強く信じる。

 

という呟きでした。

 

※この俳優さんには11歳になるお子さんがいるようなので、その場面にたまたま居合わせたということだと推測します

 

 

読んだ瞬間、

涙が溢れてしまったのですが・・

 

 

泣いていた女性が自分と重なり、辛い過去を思い出したというよりも、

その女性の気持ちが痛くて辛くて涙が出たという感じ。

(自分の事ではもう泣かないので)

 

 

でもすぐ、

ふと、

うん?私の解釈合ってる?

と思いコメント欄を見ました。

 

 

そこには

 

その女性と同じ経験をし思いを重ねた人。

 

その中でも、

その経験を経て我が子に出逢えた奇跡に感謝する人

その経験を経て子供をもてなかった人

それぞれに分かれ、

 

そして違う方向からの、

自分を産んでくれた奇跡に(親)に感謝する人

 

そして男性の方は、旦那として父親としての思い・・

 

 

さまざまな方向からの言葉(気持ち)が並んでいました。

 

 

あっ

だから何って話ですが滝汗

 

 

同じ奇跡でも、

そこには、

”起きた奇跡”と”起きなかった奇跡”に思いを重ねる人がそれぞれいて・・

 

そしてまた、

発言している人の立場によって意味が変わったり、

受け止める側の状況によって意味が変わったり。

 

 

 

私は、

生まれてきてくれる命の奇跡に出逢えなかった。

だからその女性側にすぐに立った。

でももし今普通に母親になれていたら、

奇跡の意味も感じ方も違うのだろう。

 

 

抱きしめる命が無いから

命が奇跡と思うのと、

 

抱きしめる命がそこにあるから

その命が奇跡と思うのと、

 

う~ん。

同じ命の”奇跡”でも、一人一人感じる意味が違うというか・・・

 

 

う~ん。

 

 

・・・

 

 

ていうか、

 

 

奇跡奇跡うるせーな。

 

まとめられず奇跡を連発する自分に急にキレる。真顔

 

 

 

すんません。

 

各自お返しします。

投げた。指差し

 

 

 

うまく文章にできません。

ちょっと支離滅裂ですが、疲れていると思ってお許しを。滝汗

 

 

 

でも、私達って、←勝手に私達と言う

産婦人科が奇跡を生む場所とは限らないって、よく知っているよね。

幸せだけではなく、悲しいこともたくさんある場所だって。

 

 

まとまった?滝汗