コイスルオトメな友だちいわく、
わたしは人と接するとき、
加点方式というやつらしい。


もともと期待していないので、
人のだめなところや、
できないところを見ても、
そうだよねー!という感じで、
何も思わない。
なにかしてもらえるとも思っていないので、
なにかしてもらえたときの加点が大きく、
してもらえなくても減点はない。


減点方式の友だちは、
もともと100点満点で、
評価が高いところから、
だめなところがあると、
はい、減点!減点!
となって、点数がなくなって、
評価が下がり、アウトとなるらしい。



人に期待なんてするもんじゃない。
それでも、いつもそんなきれいではいられない。
日常を占める割合が多い仕事や、
家族や親しい友だち、彼氏など、
自分と深い関係の人には
求めてしまうことや
期待してしまうこともある。
今で言ったら、
さみしくてもお休みなら
空港まで一緒についてきてほしいなとか、
荷物持ってほしいなとか、
ぎりぎりまで一緒にいて
不安拭ってほしいなとか、
帰ってくるときはとびつきたいから
空港までお出迎えきてほしいなとか、
そんな期待がでてくる。
自分のわがままで行くのに、だ。

そんな類の期待はたいてい、
期待でおわるので、
そういう期待には気づかないふりをする。
期待するだけ損するわけだ。

結果、期待した自分の愚かさにげんなりしたり、
ばかばかしくなるから。
うまくいってない自分と
うまくいっているまわりを比べて、
いらいらし、焦り、
最終的には自分にとても幻滅するから。
まわりと比べても仕方ないのに。
比べるなら、比較対象は過去の自分にしよう。




期待しないでいると、
人が、何かしてくれたときに、
それが些細なことでも
これしかしてくれなかった!なんて思わずに、
こんなにしてくれた!ありがたい!と思える。

何もしてくれないときも、
もともとないものだと思っているから、
なにも思わない。


家事で例えるなら、
姉が洗濯物を干さないのは
いつものことで、
だから、干さないことに対して、
わたしはなんとも思わない。

干さないことが普通になっているので、
たまに干してくれる時があると、
びっくりするし、
ばかにしているとかではなくて、
ふつうにほめたくなる。

母は、
平日は保育士の姉の洗濯物が多いので、
それなのに干さない姉に対して
よく不満を言っている。

母の気持ちは少しわかるけれど、
どうせ文句を言ったところで、
姉はやらないし、
怒らせるだけ。
それならば、自分でちゃっちゃと干してしまったほうが、早いし、平和だ。

たまに、自分のものを干した姉が
誇らしげに、干したよ!と
(えらそうに)言ってくるときは、
うん当たり前だよ。と心の中で思うので、
さすがにいらっとするのだけど。



ひとに
期待するから、
思った通りにならないときに
いらいらする。


だから、
ひとには期待はしないほうがいい。



期待するから、
うまくいかないときに
かなしくなる。
失望する。
怒りたくなる。


期待しないと、
うまくいったときに、
うれしさが倍増する。


期待しないと、
すごく小さなことでもよろこべる。



だけど、本当の本当は、
期待したことが期待通りになったら、
もっともっとうれしいんだろうな。
だから
期待したり、求めたりしてしまうのかな。
いや、実はちがうかも。
その先には、
次なる期待がやってくる?
結局エンドレスループ?
期待通りになることがないからわかんない。

期待なんてするもんじゃない。
それでも、期待したり求めてしまうときは、
人に期待するより、人に求めるより、
まず、自分が期待されるようなことを
求められるようなことを
できる人になればいいと言い聞かせる。


実は、誰かに期待するということは、
限られた人間関係しか築けない私にとっては、
人と深く関わるという点で、
成長させてくれるもので、
完全悪でもなく、
必要なことであるのかもしれない。