人が生きていく上で、
本当に必要なものって
なんだろう。






たくさんのものが溢れた
この世界で、
本当に必要なことは、
そんなに多くないと思う。







自分の持つこだわりや、
納得できないことや、
深く考えてることって、
相手とか、その時その時で、
柔軟に変えていければ、
自分の思いと相容れなくても、
たとえ納得できなくても、
そういうのをそのまま
ふわっと受け入れていければ、
たぶん、わたしはとても生きやすくなる。



すべてを人に合わせる必要は
全くないし、そのつもりもない。
そうじゃなくて、
何かあったときに、
そういうこともある。
そういうときもある。
そういう人もいる。
そんな風に、
“ふんわりと” 受け入れるということ。
“すべてを完全に”
は、今の私にはむずかしいから、
ふんわりでいい。



真ん中に一本の芯が通っていることは
大切だし、わるいことではない。
ふんわりと受け入れることで、
仮にそれがちょっと左右に傾いたとしても、
ちゃんと、真ん中に戻れる。
たぶんちょっとじゃ、ぶれない。
べつに、ぶれたところで
実は大したことないし、
戻れなかったとしたら、
それは芯すらも
替えどきだったんだと思う。






人生の行き着く最終地点は、
あーいい人生だったと言って、死ぬこと。
ただそれだけ。





その途上の今、
わたしがこだわっていること、
自分に課すルールや、
日々のルーティン、
お気に入りのものたちは、
その達成のために、
どれだけ必要なのだろう。
実は全部要らないかもしれない。










例えば、
仕事で人事異動があれば、
いつまでも前の部署に固執せず、
すんなりと変化に順応していけばいい話。
人は変わるし、周りも仕事も変わる。
自分もアップデートしていけばいいだけ。



アウトプット力を高めるために
毎日英語で日記を書こうと決めた。
だけど、途中1日忘れた日があった。
そんな時は、ああ、続かなかった。
じゃなくて、
忘れちゃった。1日くらいおやすみおやすみ♩と気楽に進めばいい話。



自分で決めたことは
絶対に守らないといけない。とか、
いつも最後まであきらめない。とか、
嘘は絶対につかない。とか。
「〇〇しないといけない」
「〇〇してはいけない」という、
自分で自分に課すルールやルーティンなんて、
人に危害を加えたり、
法を犯して罪に問われるようなことさえしなければ、それ以外は、やらなくたって、やったって、できたって、できなくたって、誰にもどうにもわからないし、何を言われるわけではないし、どうってことない。
それよりも、自分の厳格なルールのもと、
制限された範囲でしか行動できなくなったり、
物事をその範疇でしか考えられなくなるのは、
むしろおかしい。
そんなルールは撤廃しよう。



もうすぐ10年の仲になる腕時計も、
ソーラー電池なのに、
最近毎朝止まってる。
そろそろ寿命なのかもしれない。
そんな時、愛着が強すぎて、
変えたくないというこだわりが出てくる。
毎日同じピアスをつけたい。とか、
バッグも、耳あても、
壊れてても、ちょっときたなくても、
使えるのなら
お気に入りのがいい。とか。
身の回りのものは、
いったんお気に入りの仲間入りすると、
長いおつきあいになって、
その分愛着が深い。
毎回、使えなくなった時、
あたらしいものに変えるのに
かなしいし、
大げさだけど少しだけ苦労する。
物は大切に扱っていても、いつか壊れる。
それで変えたからって何も起きないし、
いつのまにか、そのうちまた慣れる。





そのほかにも、
自分がこだわってるものやことはたくさん。
だけど、そのなかには、
手放してもいいものや
ほんとは手放すべきことが、
実はいっぱいあって、
最終ゴールから見たら、
むしろほとんどなのかもしれない。
いつまでも、
過去のこと、
同じことにこだわり続けていては、
アップデートしていけないのだ。
何かを得る代わりに、
失うものもある。
不要なものだから手放したところで、
それまで積み上げてきたものは
なくならない。
その上に、
また新しいものを積み上げていってもいいし、
またちがうものを一からつくっていってもいい。




そしたら、
人生において、
本当に必要なものはなんだろう?
わたしには何が必要?
最後に、しあわせな人生だったって言えるのに
必要なことは?



私が思うのは、
しあわせって、
見えない未来の特別なものじゃなくて、
願って、いつかなれるものじゃなくて、
だれかが与えてくれるものでもなくて、
そんなかっこいいものじゃなくて、
難しいものでもなくて、
たぶん日常。
そしてそれは、
毎日いいことしかない、ハッピー!
では到底なくて、
悲しいこと、つらいこと、苦しいことを
ちゃんと感じること。
そういうのもぜんぶ含めての
しあわせだ。

人にやさしくしてもらったり、
ありがとうを言ったり、
ごはんを一緒に食べたり、
泣いたり、笑ったり、
怒ったり、いらいらしたり、想い合ったり、
けんかしたら最後はごめんねを言う。
そんな人が、相手が、いること。
そんな、“めんどくさい” 人との関わり合いのなかでうまれるプライスレスなこと
ほんとはいちばん必要で、
大切なことなんだと思う。



大切な人を大切に。



その基本以外の
自分のこだわりって、
実はくだらなくて、ほんと大したことない。
手放しても、変えても、
全然問題なかったりする。

そうは言っても、
まだまだ手放せそうにないこだわりは、
頑としてある。
それは、
これから、そうなるべき時にそうなるはず。
すべてを手放せた時、
それはもしかしたら、死ぬ時なのかも。

今は、まだまだこだわりいっぱいの自分でも、
その時その時で、
大切なことを見逃さなければ、
見逃しちゃったとしても、
そのことにちゃんと気付いたら、
反省してすすんでいけば、
オッケーとしよう。