人は、同じことを繰り返す。












学習する生き物なはずなのに、
学習したはずのことを繰り返す。













なぜだろう。













私が前の会社を辞めた1番大きい理由は、
いる意味が見つけられないからだった。
何をやっても、誰も見ていてくれない。
私にやらせるだけやらせるくせに、
打ち合わせには入れてくれない。
入れてくれないのは別にいい。
だけど、その内容を
きちんとフィードバックしてくれないのが
不満だった。
正確には、中国人係長が説明できないことが。
説明もできない・つくれない。
相談しても、内容わからないから、
話にならない。
それなのに、この人が私の上?
変な社会だ。

課長がいた時は、きちんと
フィードバックしてくれていた。
なのに、課長が辞めても、人は補充されず、
フィードバックしてくれる人はいなくなった。
だから、詳細は分からなくても、
自分で考えて、想像して作って、提出して、
その成果物はそいつのお手柄。
私がどんなに正確な書類を作っても、
どんなに完璧な資料を作っても、
私はいないもの。
つまり、わたしはゴーストライターであった。
だったら、いる意味なんてない。
いや、意味はあるけど、認められたい。
声を大にして、
わたしがやってます!!!
なんて、主張はしたくもないけど、
せめて、上の人には、私がやってること、
知ってほしかった。
私の努力を認めてほしかった。
ただ、ありがとうと言われたかった。
それだけで、がんばれた。

やって当然で、
感謝もされなければ、認められもしない。
そんな状況でも、仕事はきちんとやった。
私が作ったと知られていなくても、
適当は大きらい。
だけど、そのうち、
この人のためにはやりたくない
と思うようになった。
自分が腐ってく気がした。

課長がいたころは、
純粋に、
この人のために仕事がしたいって思ってた。
私は裏方でも、この人が認めてくれれば、
それだけでよかった。
この人の力に少しでもなりたいって
一生懸命だった。


だけど、そうじゃなくなって、
バックオフィスで働いている私は、
一緒に働いている人に認められなければ、
働いている意味がない気がした。
つまり、社会で認められていない気がした。
働いている意味がないということは、
自分の価値がないということ。
ひいては、生きてる価値がない
ということになる。

大げさかもしれない。
仕事が全てではない。
だけど、それくらい、
私にとって仕事は大半を占めるし、
大事なものだ。


だから、会社で役に立てないということは、
社会で役に立っていないということ。
すなわち、生きてる価値がないという
私の凝り固まった考え方に至る。



辞めてから気づいた。
実は、そうじゃない。
私を認めてくれてたひとはいた。
現に、辞めることを止めてくれた人もいた。
私のことをほしいと言ってくれる人もいた。
組織がなんとかなるように、
上に掛け合ってくれた人もいた。
悲しんでくれる人もいた。
泣いてくれる人もいた。
さみしがってくれる人もいた。
次がいやだったら、戻っておいでと言ってくれた人もいた。

そんな人たちを差し置いて、
それでも私は
自分で、
自分のことを、認めていなかった。
認めてあげられなかった。
それが1番の問題だった。

そんな人たちが私に言ってくれる、
少しの小さな
「ありがとう」
だけで、がんばれた。

なのに、私は
そんな人たちの思いを捨てて、
それらを自分で勝手になかったことにして、
やめた。

そしてまた、今も、
自分で自分を認めてあげられない。

分かっているのに。
誰が認めてくれなくても、
自分だけは、
自分のこと認めてあげないと、
自分の価値を分かってあげないと、
私はまた同じことを繰り返す。





行き着く先は、また同じなのか…




そんなのいや。

だから、
私は、自分のことを認めてあげられるように、
自分を、
生きる力を、
将来を、未来を
明るく信じてあげられるように、
最高の未来を手に入れるんだと、
前に進もう。


今いるところは、ちょっと合わなかっただけ。
すぐに辞めたからって、
全てが終わる訳じゃない。
逃げたわけでもない。
忍耐がないわけでもない。
そうやって、信じてあげよう。

十分やった。
だから、もう次のステップを踏もう。