小説「箱を持っている」④

『ファンの皆様　いつも沢山の温かい応援、誠にありがとうございます。この度、本庄ユイカがいよいよ歌手として本格デビューさせていただくことになりました。つきましては、ご招待させていただきたいと思います。こちらの招待状をお持ちになり、会場までお越しください。なお、ご招待の皆様には、ささやかながら特典をつけさせていただくことになりました。ご来場、心よりお待ち申し上げます。YUIKA HONJO』

　『させていただく』連発の文章。

　その下にあった特典項目にはこう記されている。

★特典１　本庄ユイカオフィシャルオリジナルステッカー

★特典２　本庄ユイカとの優雅なティータイム

　本庄ユイカが毎日、学校に紅茶を持ってきていたのを思い出した。

　ピンクの小花柄の水筒に入ったそれを、休み時間になるとコップに注ぎ、両手で包み込むように持ち、優雅に飲んでいた。

　ある日、ユイカっていつも紅茶だね、と誰かが聞くと、毎日種類変えてるのと返しているのが聞こえた。

　「今日はイングリッシュブレックファースト」

　と言って、また口に運んだ。

　斜め前の席だったので自然に視界に入った。

　両手で上品に飲むと、ユイカがこちらを見た。

　今度はこちらを見ながら、両手で上品にコップを口に運んだ。

　彼女から目をそらす気配はなく、わたしから目をそらした。

　なんだか気まずかった。

　わたしの視界に彼女が入るのは、自然なことなのに。

　紅茶の時間のみならず、彼女とはよく目が合った。

　どうしてそんなに、わたしを意識するのだろうか。

　夜、常夜灯だけが照らす部屋の中で、ベッドに仰向けになり自分の腹の上に乗っている箱を見た。触るとひんやりとしていたが、本当に「冷たい」のかは確信が持てなかった。

「あたたかい」ような気もした。箱には表情がない。

　身体を横向きにすると、箱も添い寝してきた。

　わたしはそれを抱えるように眠った。

　翌日、出勤すると社員も一様に『箱』を持っていた。

　それぞれが箱を持ったまま、無表情にパソコン画面と向き合う様は滑稽だ。

　特に、万年しかめっ面の前田部長の箱が淡い水色に可愛いドット柄なのには吹き出しそうになった。睨んできた瞬間、慌てて目をそらした。

　部長は片手にドット箱、もう片方に渋い湯飲み茶碗で事務机の書類に視線を戻した。

　『箱』の基準は分からない。着ている服の趣味に合っているわけでもなく、そのひとの性格と合致しているわけでもない。

　挨拶の声しか聞いたことのない無口の中の無口の同僚、カワバタさんは、ショッキングピンクにゴールドとシルバーのボーダー柄の箱だし、会社でいちばん遊んでいると言われているシンノスケくん（通称シンさま）は、薄汚い茶色一色の小さな箱がお灸のように背中に乗っている。

　真っ白なのは、割とまともなのかもしれない。

　短い昼休みだったが、サキコと合流して例の招待状のことを伝えた。

「やっぱり来たか。裏切らないねぇ！本庄ユイカ」

　サキコの声は弾んでいた。

「で、行くんでしょ？」

「いや、どうしようかな」

「行きなよ！」

「だって興味ないし」

「わたしが興味あるの！」

「じゃあ代わりに行ってくる？」

「わたし行ったんじゃ意味ないでしょ。招待されてるのはカナミなんだから」

「わたしが行っても喜ばないと思うし」

「喜ぶとか喜ばないとかそういうことじゃないの」

「じゃあ、なに」

「あいつは確認したいの。いまのあんたが自分より劣っているか優れているか」

「どっちでもいいじゃない」

「どっちでもよくないの。確認させてあげなよ、いまのカナミちゃんを」

　他人事が楽しそうで何よりのサキコはさておき、サキコの箱が気になるのは確かだ。

「…まあ、ちょっと覗いてすぐ帰ってくるかな」

「最高。すぐに報告してよね。なんならリアルタイムで逐一メッセージくれてもいいよ」

「それはちょっと」

　ライブとかそういう類のものには、ほとんど行ったことがないと思う。

　昔から音の大きな場所が得意ではなかったし、音楽に乗りながら身体を動かすのも、叫ぶのも好きではなかった。いまもそれは変わらない。

　かと言ってクラシックが好きかというとそうでもなく、ウィーンのオーケストラのチケットが当たったとかで、母について行ったときも、始まって半分過ぎから記憶がない。まぁ母に至っては、始まって五分で寝ていたのだが。

　ライブに行った記憶を辿ってみた。

　弟はそういう類のものに行き慣れていて、小さなライブはもちろんのこと、去年は野外フェスで２泊３日するから金を貸してくれと言って母に怒られていた。

　それでも弟は無理やり行った。わたしはそういうものに興味がない。

　歌をうたうのは好きだったが、聴くのは好きじゃない。音がない方が集中できる。中学校の芸術鑑賞でギターのコンサートに行ったことがあったが、隣の子がその隣の子とずっと元彼の悪口を話すのをやめなくて、隣の子の元彼には人一倍詳しくなった。

　ほんの少しなら。