一年前の今日、1月14日。
里帰り出産の為、実家に帰省していた私はその日ものんびり過ごしていました。
昼頃、ジャッキーチェンのプロジェクトBBだかっていう、映画を見る。
強盗犯がひょんなことから男二人でてんやわんやでベイビーを育てるやつ。
その次は大泉洋の、子育てドラマの再放送を見る。
臨月の私にぴったりなセレクション。
それでも暇な私は夕方、雪のなか母と図書館に行った。
1月26日が予定日だったし、初産なので、予定日より遅れると言われていたし、
なんだかんだ、今日も産まれそうにないよ。と、旦那にメールをして、
22時頃、読書でもしてそのまま寝ようと早めに寝床に入っていました。
早速借りて来たばっかりの本を読んでいると。
!!バチンっっっっ!!
今まで何にも感じたことのない箇所(おなかの下の方の背中よりらへん)で、
スゴい音がした。
その瞬間、じゃーーーーーーーーーーっと何かが流れる感覚。
!!!!破水だ!!!
(破水とは、赤ちゃんが入っている袋が破れて羊水が流れ出てしまうこと。
普通は陣痛がおこってから起きますが、私みたいに前期破水といって、
陣痛より先に破水する場合があるそうです。)
それからの金子家といったらてんやわんや状態。
隣の部屋にいた母に、「お母さん!!破水だ!!破水だーーー」と、伝え、
トイレに入る。やっぱり破水だ、しかもすごい量が出続ける。
パニック状態の私はトイレのドア開けっ放しで股を開いたまんま、
母に、「ね!ね!ね!!」と見せびらかす。
そのむこうで、予定日より12日も前だった為、まだ産まれないべーと油断して酒を飲んでしまっていた父があたふたしていた。
そのままトイレで旦那に電話。
その当時何が何でも立ち会い出産を希望していた私は、
旦那に「破水しちゃったーーショックーーー」と言っていた。
(破水したら普通はすぐそのまま陣痛が始まり出産になります。)
旦那は予定日前後に来る予定だったので、急な出産には立ち会えない。
(旦那は普通に東京で仕事中でした)
とりあえず病院に電話。こんなにパニック状態なのに、冷静に診察券番号など聞かれる。
そんなもの手元に用意してなかったもんで更にあせる。
いつまでもトイレにいても仕方ないので、バスタオルをぐるぐる巻いて
病院へむかう。
緊張と興奮で足ががくがく震えていました。
外はものすごい吹雪でした。
その後、診察を受ける間も破水し続ける。
だけど子宮口はまだ開いていないとのこと。
だけど破水がものすごいので、お産になるだろうと、分娩室に入り陣痛の感覚を調べる機械をつけて赤ちゃんの心音が部屋に響いていました。
それから。。
何時間たっても陣痛というものがこない。
ただひたすら羊水が流れ続け垂れ流し状態が続く。
そして重い生理痛のようなものに耐えながら眠れないまま、一晩があける。
まだ、なにが陣痛かもわかっていませんでしたがね。
そして、そんな間に旦那が急遽こちらに向かってくれ、翌朝10時、旦那が到着。
久しぶりに旦那の顔を見てテンションがあがり、陣痛ってこんなもんなのかなぁ、
私って痛みに強いのかも!と、何とも調子に乗ったことを言っていた。
その後。
すぐにおそろしいほどのお腹の張り、陣痛がきた。
それからはもう長い長い戦い。
微弱陣痛が何時間も続き、子宮口も開かず、赤ちゃんも降りてこず、
点滴だの促進剤だのをうたれ、何時間も何時間もかかりました。
途中、もういい加減終わるだろうと思ったら、まだ頭も見えてないよと言われて愕然とし、
あまりの痛さに耐えきれなくて、旦那と一緒に立ち会ってくれていた母親に、
痛いのでもうやめたい。と、目で訴えると、
それがそのまま伝わってしまい、とても複雑な顔をされて、
だめなんだ。ととても悲しくなった。
点滴をうたれまくって下のお世話をされたりで、もう何だか何をしてんだか正気じゃなくなって集中もできなくて、一回母親と旦那に外にでてもらったら、
やっと子宮口が開いて来たのに、助産師さん達が隣の部屋のお産に駆けつけてしまって、
子宮口9センチでいきなり一人にされる。
(10センチで赤ちゃんが出ます)
痛い痛いと叫びまくってナースコールを押しまくる。
やっと助けが来て、母親と旦那が戻り、やっとやっとやっとその時が。
破水して入院してから約24時間。
陣痛が始まってから11時間30分が経った、21時23分。
頭が引っ張られてでてきた変身したフリーザのような赤ちゃん。
それが後に暴れん坊将軍と化す、かえちゃんです。
出産は、25年間生きて来た中で、一番の出来事。
私がそれまでこんなに頑張って成し遂げたことはかえちゃんを産んだことだけでした。
なぜかこの一年でのかえちゃんの成長、というよりも、
今日はその出産の思い出と頑張った自分にひたりたいと思います。
そして、今日、母親がはるばるかえちゃんの1歳をお祝いしにきてくれました。
旦那と母親と、その出産の時の話でまた感慨深い気持ちになるのでした。
ま、産んだ後、赤ちゃんを連れて行かれ、病室に移動するまでの間、
呆然と余韻にひたっていた私。もうそれはそれは褒めてほしくて、
ふと立ち会ってくれていた旦那と母親を見ると、
二人とも、報告メールに夢中でした。
褒めてよーーーーーーーーーーーーーー
いつのひかふたりめを産むときには、100回褒めちぎってからにしてください。

何はともあれ、
かえちゃん、そして私の母親業、明日で1歳をむかえますっ
里帰り出産の為、実家に帰省していた私はその日ものんびり過ごしていました。
昼頃、ジャッキーチェンのプロジェクトBBだかっていう、映画を見る。
強盗犯がひょんなことから男二人でてんやわんやでベイビーを育てるやつ。
その次は大泉洋の、子育てドラマの再放送を見る。
臨月の私にぴったりなセレクション。
それでも暇な私は夕方、雪のなか母と図書館に行った。
1月26日が予定日だったし、初産なので、予定日より遅れると言われていたし、
なんだかんだ、今日も産まれそうにないよ。と、旦那にメールをして、
22時頃、読書でもしてそのまま寝ようと早めに寝床に入っていました。
早速借りて来たばっかりの本を読んでいると。
!!バチンっっっっ!!
今まで何にも感じたことのない箇所(おなかの下の方の背中よりらへん)で、
スゴい音がした。
その瞬間、じゃーーーーーーーーーーっと何かが流れる感覚。
!!!!破水だ!!!
(破水とは、赤ちゃんが入っている袋が破れて羊水が流れ出てしまうこと。
普通は陣痛がおこってから起きますが、私みたいに前期破水といって、
陣痛より先に破水する場合があるそうです。)
それからの金子家といったらてんやわんや状態。
隣の部屋にいた母に、「お母さん!!破水だ!!破水だーーー」と、伝え、
トイレに入る。やっぱり破水だ、しかもすごい量が出続ける。
パニック状態の私はトイレのドア開けっ放しで股を開いたまんま、
母に、「ね!ね!ね!!」と見せびらかす。
そのむこうで、予定日より12日も前だった為、まだ産まれないべーと油断して酒を飲んでしまっていた父があたふたしていた。
そのままトイレで旦那に電話。
その当時何が何でも立ち会い出産を希望していた私は、
旦那に「破水しちゃったーーショックーーー」と言っていた。
(破水したら普通はすぐそのまま陣痛が始まり出産になります。)
旦那は予定日前後に来る予定だったので、急な出産には立ち会えない。
(旦那は普通に東京で仕事中でした)
とりあえず病院に電話。こんなにパニック状態なのに、冷静に診察券番号など聞かれる。
そんなもの手元に用意してなかったもんで更にあせる。
いつまでもトイレにいても仕方ないので、バスタオルをぐるぐる巻いて
病院へむかう。
緊張と興奮で足ががくがく震えていました。
外はものすごい吹雪でした。
その後、診察を受ける間も破水し続ける。
だけど子宮口はまだ開いていないとのこと。
だけど破水がものすごいので、お産になるだろうと、分娩室に入り陣痛の感覚を調べる機械をつけて赤ちゃんの心音が部屋に響いていました。
それから。。
何時間たっても陣痛というものがこない。
ただひたすら羊水が流れ続け垂れ流し状態が続く。
そして重い生理痛のようなものに耐えながら眠れないまま、一晩があける。
まだ、なにが陣痛かもわかっていませんでしたがね。
そして、そんな間に旦那が急遽こちらに向かってくれ、翌朝10時、旦那が到着。
久しぶりに旦那の顔を見てテンションがあがり、陣痛ってこんなもんなのかなぁ、
私って痛みに強いのかも!と、何とも調子に乗ったことを言っていた。
その後。
すぐにおそろしいほどのお腹の張り、陣痛がきた。
それからはもう長い長い戦い。
微弱陣痛が何時間も続き、子宮口も開かず、赤ちゃんも降りてこず、
点滴だの促進剤だのをうたれ、何時間も何時間もかかりました。
途中、もういい加減終わるだろうと思ったら、まだ頭も見えてないよと言われて愕然とし、
あまりの痛さに耐えきれなくて、旦那と一緒に立ち会ってくれていた母親に、
痛いのでもうやめたい。と、目で訴えると、
それがそのまま伝わってしまい、とても複雑な顔をされて、
だめなんだ。ととても悲しくなった。
点滴をうたれまくって下のお世話をされたりで、もう何だか何をしてんだか正気じゃなくなって集中もできなくて、一回母親と旦那に外にでてもらったら、
やっと子宮口が開いて来たのに、助産師さん達が隣の部屋のお産に駆けつけてしまって、
子宮口9センチでいきなり一人にされる。
(10センチで赤ちゃんが出ます)
痛い痛いと叫びまくってナースコールを押しまくる。
やっと助けが来て、母親と旦那が戻り、やっとやっとやっとその時が。
破水して入院してから約24時間。
陣痛が始まってから11時間30分が経った、21時23分。
頭が引っ張られてでてきた変身したフリーザのような赤ちゃん。
それが後に暴れん坊将軍と化す、かえちゃんです。
出産は、25年間生きて来た中で、一番の出来事。
私がそれまでこんなに頑張って成し遂げたことはかえちゃんを産んだことだけでした。
なぜかこの一年でのかえちゃんの成長、というよりも、
今日はその出産の思い出と頑張った自分にひたりたいと思います。
そして、今日、母親がはるばるかえちゃんの1歳をお祝いしにきてくれました。
旦那と母親と、その出産の時の話でまた感慨深い気持ちになるのでした。
ま、産んだ後、赤ちゃんを連れて行かれ、病室に移動するまでの間、
呆然と余韻にひたっていた私。もうそれはそれは褒めてほしくて、
ふと立ち会ってくれていた旦那と母親を見ると、
二人とも、報告メールに夢中でした。
褒めてよーーーーーーーーーーーーーー
いつのひかふたりめを産むときには、100回褒めちぎってからにしてください。

何はともあれ、
かえちゃん、そして私の母親業、明日で1歳をむかえますっ