こんばんは。

雪姫桜(ゆきか)です!


自分のプロフィールにも書いたのですが、僕は清木場俊介さんの大ファンです!

あんまり知らない人はいないとは思いますが、知らない人の為に少しだけ説明すると…


今でも有名な「J Soul Brothers」そして改名後の「EXILE」のボーカル「SHUN」として、2001年から2006年まで活動されていた方です。

2005年にはソロデビューをしていましたが、EXILEの脱退後はソロ活動に専念してライブを中心に活動し今でも唄い続けています!


と偉そうに説明しましたが、僕が清木場さんのファンになったのは今から4年くらい前で、それまではEXILEすらも興味が無かったし、清木場さんの名前も聞いた事がある程度でした😁


そんな僕でしたが、今から約5年半くらい前にある出来事が…


その頃、僕の妻は妊娠をしていて、あと3ヶ月で第3子となる次女を出産する予定でした。

それまで何の問題も無く順調だったのですが、ある日の妊婦健診の日、その日はたまたま僕も一緒に行ったのですが、いつも通りエコーを当て、心拍の確認をした時にいお医者さんが黙りこみながら何度も確認をしていたんです。

そしてお医者さんは僕たちに「心拍が確認できないです」と…


「ん?どうゆうこと?」 僕も妻も頭が真っ白になりました。


その日は長男と長女の保育参観の日で、僕と妻はお腹の子に「今日はお兄ちゃんとお姉ちゃんの頑張ってるとこを一緒に見ようね」なんて語りかけた日でした。


お医者さんの診察が終わってからは妻は即入院になり、人工的に子宮口を開かせ、薬を使って陣痛を起こして出産する事になりました。


外から診てるだけだし、何があるか分からないからと、僕も妻も絶対に大丈夫だからと本気で奇跡を信じて、最初の診察から2日後に可愛い女の子が産まれました。


僕は陣痛室で待機だったので、出産の瞬間には立ち会えませんでしたが、産まれてしばらくしてから看護師さんが僕のいる陣痛室にへその緒を持ってきてくれました。


そのへその緒を見た時に僕は泣いてしまいました。

長男と長女の時のへその緒と全然見た目も違った事、そして「よく頑張って産まれてきてくれたね」と思ったのと妻に対しての申し訳なさ…


色んな感情が一気に溢れ出してしまいました。


そして、分娩室に呼ばれました。


そこには涙ぐみながらも笑顔の妻の姿があり、妻の横には小さな白い箱がありました。


その白い箱の中には、泣いてもいない息もしていない、真っ赤な体をした次女の姿がありました。


でも僕は嬉しい気持ちになりました。


後日、僕は役所に死産届けを提出しに役所に行きました。

手続きをし、役所の方と話していたら、「戸籍には名前を載せる事はできません」と言われました。


僕は産まれたその日に名前も考えて、「春に産まれる予定が冬の寒い日に産まれた、1年を通して春になれば桜が舞うし冬になれば雪が舞うし誰も忘れない貴女は僕たちのお姫様だよ」ってゆう意味を込めて「雪姫桜(ゆきか)」とつけていました。


役所での手続きの時は「確かに生きていたし、頑張って産まれてきてくれたのに、何でだよ!」と悲しかったし悔しかった…


そうゆう想いがありながら日々を送っており、ちょうどその頃仕事でも色々悩みがあった時期だったのもあり、生きている実感がしていませんでした。体調も崩し鬱になり…


そんな時、たまたまYouTubeで清木場さんのライブ映像を目にし、その時の唄が「生きてこそ」ってゆう唄でした。

それを見て聴いた時、本当に映画とかでもよく見るような号泣をして、一気にその時の情けない自分が涙と共に流れました。


そこから清木場さんの大ファンになり、この漢はどんな人なんだと思うようになりYouTubeを見たりCDを集めて唄を聴きまくったり…

清木場さんの唄を聴かない日は冗談抜きで無いです。


こんな情けない何もできない僕を救ってくれた清木場さんの唄を世の中の少しでも多くの人に本当に聴いてほしくて、某カラオケアプリで唄を唄ったり、YouTubeも始めました。


今ではある事を目標にして唄の練習も独自でやっています。(レッスン料を払うお金も無いですが、レッスンに頼りたくないから)


僕もそうですし、皆さんもそれぞれの人生があります。

何かに悩んでしまってどうしようも無くなってしまった時は一度清木場さんの唄を聴いてみて下さい。


僕はそうでしたが、唄を聴いてると、この人の苦労に比べればってなりました。

そうじゃなくても、今の自分にヒントをくれる唄が沢山あります!

本当に是非聴いてみて下さい!


長々と読んで頂きありがとうございました。まだまだ語り足りませんが、今日はこの辺にしておきます。


明日も最高な1日になりますように…