こんばんは  yukijunです。

前回のブログで、ゆきおちゃんと私の結婚記念日に

徳島の山奥を訪れていたとお伝えしましたが

今回、徳島を訪れた目的は…

とくしま 「きくみるはなす」研究会さん主催の

「ミニカン合宿2017 冬の神山  編」へと…参加するためでした。




今日は 私が現在学んでいる「ミニカウンセリング(傾聴空間建築)」

についてのお話しです。

ちょっと長くなっちゃいそうですが、ご関心を寄せていただき

読んでくださる方がおられましたら、有り難く思います。  

この度の「ミニカン合宿」主催者で世話人でもあります

とくしま「きくみるはなす」研究会の おかだ  さんの

案内文によりますと…

「ミニカンとは…

  ペアになったお2人が「話し手」「聞き手」役となり15分間の

  ミニカウンセリングを実践しあい、逐語記録を作成。

 できあがった作品ひとつに数時間を費やす精密な橋本レヴューの

 もと、一緒に詠みほどいていきます」とあります。

この「未二観・ミニカン 」を実践されているのは、日本の新しい

口承即興舞踏劇「きくみるはなす縁坐舞台」を実践する

「坐・フェンス」の座長である 橋本 久仁彦さんです。

橋本さんは、高校教師として、アメリカの心理学者

カール・ロジャーズ氏が提唱した

パーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を

10年間実践され、その後 アメリカやインドを遊学。

平成2年~13年まで、龍谷大学学生相談室カウンセラーを務め、

様々な集団を対象に非構成エンカウンターグループを行う。

その後、プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、

サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリー

ダンスなどのフィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米の

アプローチの研究を積み重ね、現在は  「未二観・ミニカウンセリング

(傾聴空間建築)」やファシリテーター(相聞円坐守人)の

トレーニングクラスをライフワークとして継続中。

2014年4月より高野山大学 スピリチュアルケア学科の講師を務め、

その授業に「ミニカウンセリング(傾聴空間建築)」を

取り入れておられるとのこと。

「ミニカン」とは…

「ひたすら聴力を養うことに特化したトレーニング。」

私が、はじめて 橋本さんの存在を知ったのは、約一年九ヶ月程前の

ことでした。

その時、私はグリーフについての学びを深めるために
                                           ↓
     GCC(グリーフ・カウンセリング・センター) に通っていました。

グリーフについて学びたいと思ったのは、私にとってかけがえのない

愛する存在であるゆきおちゃんを亡くして、この苦しみと悲しみと寂し

さと、抑えきれない感情にいてもたってもいられなかったから…

私を苦しめるグリーフというものの正体がいったいなんなのかを

知りたかったから…

そして、私と同じように、それ以上に、かけがえのない大切な人を

愛する人を亡くして、苦しみと悲しみ・哀しみ・愛(かな)しみを

抱えて日々過ごしておられる方々が、集える場所を作りたいと

思ったから…

グリーフケアとしての死別分かち合いの会ではなくて

共に集える場所を…

けれど、グリーフについての学びが進めば進むほど

私の中に浮かんでくる疑問…

それは、「本当に人の話を聞くというのはどういうことだろう!?」

私は果たして、日常の生活の中においても

「人の話を聞けているのだろうか!?」

そして、グリーフ・カウンセラーの資格を取得するために

東京まで学びに行ってるものの、心の中でいつも感じていたのは…

私は、カウンセラーとクライエントという立場で、相手の方のお話を

聞かせてもらいたいのか?

いいや、

そうではなくて

共に、かけがえのない大切な人を亡くしたひとりの人間として

相手の方と向かい逢いたいのだ…

こんなことを日々考えながら悶々としていた時に見つけたのは…

自死によりお母様を亡くされた尾角 光美さんのブログでした。

尾角さんは、お母様が亡くなられたのをきっかけに、あしなが活動を

得て、「いつ、どこで、どのような形で 大切な人を亡くしても、その人

が必要とするサポートを確実に得られる社会の実現」を目指して
               ↓
社団法人  リヴォンを立ち上げられました。
                 ↓
その尾角光美さんのブログで初めて橋本さんとミニカンの存在を

知りました。

以下は ミニカン について の 橋本さんの記述です。

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心理療法やカウンセリングという「聴き癖」から離れて、ただ

「ままにきく」「みにかん(未二観)」になってきた心象風景は

茶室や茶人の佇まいと重なります。「ミニカウンセリング」は、

20年前は、心理療法を目的としたカウンセリングとして行って

いました。

今は、「みにかん」と呼ぶようになって、もう治療など関係なく

なった。

それは、「15分間」のたとえば茶室のような小さな時空間です。

聞く人(亭主)が語る人(主客)のために、小さな庭のある

「15分の間」という名前の部屋を心を静めて作ります。

亭主が、「これからの15分間は、〇〇さんのお話を伺うための

時間です。」と宣言すると、世界のどこにもないふたりの15分間が

ふわっと広がって、現れます。

目の前の人は、クライエントではなく、上座に坐った主客。

上座に坐った主客がゆっくりと口にする言の葉が風(息)に揺られて

一枚また一枚と、「15分間亭の庭」に散り積もっていきます。

亭主は、主客の言の葉の散り姿を、まとめたり、分析したり、癒したり

せずに、散る姿のまま、辿り置きます。

相手の言葉(=呼吸)を編集しないこと。これは、自分の気持ちや

意見を主体的に主張する教育を受けてきた我々現代人には、なかなか

難しいことのようです。

15分間、主客(話し手)の言葉を一期一会の歌として心得、一言一句

変更せずに その 「歌詞」をありのまま聞き辿ること。

ミニカンの聞者(聞き手)の仕事は、目の前にいる話し手の言葉を

「ふた声」聞くこと。

すなわち、一度目は 話し手の言葉を耳で聞き、二度目は聞き手自身が

辿る言葉で「ふた声」聞くことになります。

ミニカウンセリングの「15分間」とは、そこにいる二人によって生じる

一つの「時空間」のことです。

二人が振れ合って 一つの時空に溶け合い、その時空が「より本当」に

なっていく姿は 影舞と同じ景色です。

「きく」という「時間と空間を越えて往く道行き」を辿ることによって

初めて「自分」という「時間と空間の境界」が視界に入ってきます。

それは、この上なく くっきりとした存在の感覚を味わうことでも

あります。

聞き手(聞者)が相手の言の葉の一枚一枚を聞き受けることができない

のは、「自分が」分かることを急いで、「手近にある意味」を探しに

行ってしまうからです。

一度  その楽しみ(意味への愛着)から身を離して  そして意味や気づき

(答えや解決)を強迫的に求める我々の傾向のために「物事の全体性」

が削られている様子を観察します。

すると、15分間 何もせず、「無力な聞き手」として  

そこにいただけの空間に、現れる予期せぬ「出来事」(物事の運び)が

視界に入ってきます。

それは「“自分”が聞いている」時には見えなかった物事と出来事の

全体的な姿です。

「無力な聞き手」の「手」が落ちて、ただの「無力な聞こえ」がある

とき、そこに立ち上がる話し手の姿や心の景色は、本当にリアルで

美しいものです。

ただ「きく」だけでよい。

「わたし」は、その「“きく”15分間」を宣言し、荘厳し、大切な

場所として守る「守人」の役目を、15分間だけ務めます。

15分間の「きく(菊)作り」。

個体や物体として、「対象として  そこにあるもの」と理解してきた

「自分」や「他者」がたくさんの時間や場所が重なっている

「中心のない空間」であるということ。

個体や物体で「できている」この世の中に、「15分間」という

この世に属さぬ「あいだ(間)」や「さかい(境)」の場所を作り出す

「聞く」という道往き。

夢と現(うつつ)が幽玄に重なり魅せるこの15分間の風景を、重なる

花弁になぞらえて「菊」と呼ぶ。

        菊作り 菊見盛りは   蔭の人


                        はしもと くにひこ
                                       
                                             ↓  (よかったら、こちらをご覧ください。)                              
                           (橋本さんホームページ より引用

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というわけで、尾角 光美さんのブログをきっかけにして

橋本さんの言霊とでも云うべき言の葉に触れ…

私が学びたい何か…

言葉に言い表すことのできない

私が求めている何か…

その何かが

橋本さんのところへ赴けば、みつかるかもしれない…

そんな思いから、気がつけば…

橋本さんがライフワークとしておられる

「円坐(えんざ)」、「影舞(かげまい)」、「未ニ観(ミニカン)」

を学ぶようになったのでした。






特に、グリーフ・カウンセラーとしてではなく

共に、この世で最も 愛おしい大切な存在を亡くした

ひとりの人間として、目の前におられる方に向かい逢い

話を聞かせていただくことを、生涯を賭して

懸命に取り組みたいと、願っている私にとっては

相手の方に対して、共感するでもなく

まして、相手の方の言葉を分析したり、癒したりせず

ただありのままに、相手の方の言葉を辿るこの「未二観・ミニカン」

こそ、今の私が必要とする最も大切な学びであると感じられたのです。

今の私に必要なのは、カウンセリングの技法を学ぶことでは

なく、目の前におられる方のお言葉に全身全霊で、耳を傾けること…

そのように思えたのです。

そんな私が、初めて「未二観・ミニカン」の学びに触れたのは…

一年四ヶ月前の徳島神山町での「ミニカン夏合宿」でした。

そして、今回一年四ヶ月の時を経て…

再び、徳島県神山町鬼籠野の地を訪れることとなったのです。



長くなりそうなので…

次回へと続きます。

今回も、このように長く拙いブログを最後まで読んでいただいて

本当に有り難う御座います照れ照れ