心の平安 | 仏教から学ぶ心の在り方

仏教から学ぶ心の在り方

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人は心が疲れたり、傷ついたりすると心の平安を求めます。
それも人それぞれの方法で。

まず心の平安を得るための方法は人によって異なります。

1.辛い時にそこから逃げ出そうとする。
2.どっぷりその状況に浸って受け入れる。
3.状況を打破しようと真っ向から受け止めて乗り越える。

1の考えで宗教を頼る人がいますが、それは前回で述べた思考の停止に他ならないので、宗教を誤った目的で利用しているように思います。
弱さが全面的に現れているので、つけ込まれてしまう可能性もあります。

2の考えは非常に慎重なのか、そもそも思考が停止していると考えられます。
慎重に打開策を考え、3に進めればいいとおもいます。

3の考えのみが個人的な尊厳を維持することと心の平安が一致します。
しっかり考えて思考を停止させるなら、それもありだと思います。
そういう状況もあると思います。

ただ、身の回りの人達から3の人は多くは見受けられません。
やはり人はそれほど強くないので、少しの辛いことがあると逃げ出してしまいます。

それでも人として産まれたからには、心の平安への答えは自分で探すべきです。
そのために友人や宗教に答えではなく、助言を求めるのです。

何度も言いますが、宗教は答えは教えてくれません。
心の平安は人それぞれなのだから、その人が見つけない限り、見つけた気にさせられるだけです。

辛いことがある時には、宗教を頼るのはいいですが、考え方を学び打開策は自分で見つけるべきだと考えられます。

ある宗教の出した答えが、社会的な答えと一致するとは限りません。
ヒトは社会的な動物です。
社会的な動物はヒト以外にもたくさんいます。
ではヒトは動物と同じか?

違います。

ヒトしか持ち合わせないものがあります。

理性

ヒト以外にもある程度の理性をもつ動物もいますが、ヒトほどの理性はないでしょう。

社会生と理性を尊重することこそが、ヒトがヒトとして他者と自己の尊厳を守ることにつながります。

宗教は人を救う為に作られましたが、直接的ではなく、考え方を教えるものです。
だから直接的に救われることはありません。
宗教で教えられていることの本質は、ヒトが人としての尊厳を維持し合うための理性なのです。
だから辛くない人でも、正しくありたいと思うために宗教を学びます。

宗教とはヒトが人として正しく生きるための方法を教えるもになのです。

道に迷った時以外にも常に心のどこかに意識するべきものです。
別にどこかの宗教を信仰しなくてもいいのです。
宗教では無くても、自分で何が正しくて自分と他者の尊厳を守る考えがしっかりある人は自分教でいいのです。

ですが、何が正しいか考えない人もいます。
特に今は個人的な欲が目立つようになり、そんな人が増えています。

そんな時代だからこそ、もう一度宗教について考え直すべき時だと思います。
辛くて救われたいからではなく、辛い目に合う人が少なくなるよう人がもっと理性的になっていくために。

宗教が生まれてもう何千年も経ちます。
宗教の現代における役割も変わっていくべきです。

それを踏まえて、次回は宗教から学ぶべき理性について考察します。

よろしくお願い致します。