■第11章 窮地に追い込まれていく生産者

 

(2)崖っぷちで一人気を吐く倉地

 

 倉地澱粉は、人造米の売り上げが低迷する中でも、品質向上を目指して研究を続けていた。そして昭和二十九年七月、重量も硬度も天然米とほとんど変わらず、しかも無臭の人造米を完成させた。原料は、カステラの製造に使う上質小麦粉八十%と馬鈴薯澱粉二十%。ビタミンやカルシウムなどの栄養も添加した。天然米に対し三割混ぜて炊いても、混入したことがほとんどわからないレベルだったという。

「こんどは必ず満足してもらえる」と自信を深めた倉地友次郎は、早速上京して食糧庁を訪ね、前谷長官と面会する。完成品を確認した前谷は、「これなら大丈夫」と太鼓判を押した。人造米の品質が天然米と遜色ないレベルに達したことを認めた政府は、まだこれから人造米を普及させることができる確信し、原料払い下げなど具体的支援を本格化させることを決めた。

 

 倉地は、新たな人造米の完成と、政府による支援策実施の決定について次のようにコメントしている。

「アメリカにおいても、人造米の研究が行われているが、米を人工的に造るセンスを与えたことは日本人が初めてであり意義のあることである。先月十八日総理大臣官邸において農林大臣より、よくやったとほめられ、私も今までの努力の甲斐があったと政府の育成方針の具体的実現に感謝する。今後も更に研究を続け、これが完成に邁進し国策米として外貨節約に一役買い国家に貢献したい」。

 倉地は、人造米のさらなる品質向上に向けて努力することを誓うとともに、「一生を人造米完成に捧げる決心である」と強い決意も表明した。

 

 また倉地は、八月七日に名古屋で開催された農林省主催の人造米育成の説明会において、事業者を代表して次のように語っている。

「日本で人造米を作るセンスを与えたことは意義のあることであるが、然し私の企業化したことに対し皆様に迷惑をおかけしたことは申訳ない。然しあくまで人造米の完成に邁進する考えである。味覚の未熟のために不評判となったのは、急増した工場が去る一月に造った製品であり、これが現在市販されている。今回日夜研究の結果天然米以上の重量と硬度を持ち臭味の点において天然米に遜色のない製品を造ることが出来た。人造絹糸が出来た時代に政府が助成に力を入れ、今日の輝しき業績を見ているが、これと同様人造米に対し政府が今回育成に本腰を入れられたことは感謝に堪えない。必ず人造絹糸同様の業績が上ることを信ずる。一部製パン、製麺業者の誹謗もあるが、必ず歴史的飛躍向上に邁進し政府の措置に報いる覚悟である」。

 

 人造米の退潮傾向が著しい状況の中、業界をリードする倉地がこうした強い決意表明をしたことは、関係者に少なからず希望をもたらした。

 倉地は、炊飯用の人造米の品質向上を図る一方で、新たな商品の開発も進めていた。その一つがミルクライス(牛乳米)である。その名の通り人造米に牛乳を加えたものだ。人造米に対しては、かねてから「旨みが足りない」という声が上がっていた。この点を改善すべく、牛乳を添加して動物性タンパク質とミネラルを補った。これにより、味だけでなく栄養価も向上した。牛乳に含まれる脂肪分により、従来のものにあった独特のうどん臭を消すこともできた。さらに、カゼインの働きで剛度も増した。

 ミルクライスの試作品は宮内庁にも納入され、天皇陛下も試食された。ミルクライスには各方面から注目が集まったが、製造コストがネックとなる。販売価格は、一般の人造米が一キロ六十五円であるのに対し、これは約八十五円。そのため、特に栄養改善を必要とする人たちに向けた商品として販売することが検討された。

 

 倉地はさらに、味噌用の人造米麹の研究も進めていた。葛原工業でも同様の研究が行われ、ともに昭和二十九年中に完成させるに至った。人造米麹は、天然米に比べて取り扱いが難しいという短所はあったものの、性状は天然米に劣らない。価格は、当時味噌の原料として使われていた砕米とほぼ同じ。すなわち、この商品もコストをいかに引き下げるかが、普及に向けての課題とされた。

 

 新商品を普及させるには、コスト削減や販売ルートの確立など、乗り越えねばならないいくつものハードルがあった。それでも、倉地や竹内は人造米の可能性を信じ、さらなる研究・開発に力を注いだ。ミルクライス、味噌用人造米麹といった新商品を打ち出すことは、人造米をアピールする上でも有効な武器となったのだ。

 

 倉地は昭和二十九年秋、人造米の宣伝・普及について次のように語っている。

「天然米にほとんど近似するまで改良された合成米が出来たが、未だ大衆が認識するに至っていない段階にある。正常な普及の方法としては全国米商の店頭にデビューすることであり。しかして米穀取扱商人が品質の向上を認識することである。しかし未だ一部の取扱業者では認識していないものがある。昨年米穀商も不良品で損害を蒙っているため扉をかたく閉ざしているが、その扉を豊米があけたと思う」。

 倉地は、販売業者が人造米の品質向上を認識し、店頭に置くようになれば、大衆の認知度も高まり、普及に繋がるとの考えだ。人造米を米穀販売業者のルートに乗せる計画はすでに破綻していたが、品質を向上させれば状況を覆すことができると信じていた。決して容易なことではないが、倉地は希望を捨てていなかった。

 

 

 

  

『日本経済新聞』1953年10月7日(右)・1954年5月26日(左)人造米に関する報道もわずか数カ月で一変した