■第10章 突如として変わった風向き
(2)業界に垂れ込めていた暗雲
昭和二十八年から各社は生産体制を拡充していた。しかし、二十九年に入って販売が滞るようになると、多くの事業者は在庫を抱えることを恐れ、一転して生産を抑制する方向へと舵を切った。倉地澱粉や葛原工業など大手が態勢強化を続ける一方で、中小の事業者は生産調整に入っていたのだ。また、政府に砕米の割当申請をしていた工場の中には、申請の辞退を申し出るところも出てきた。
売れ行き不振の報は、新規参入事業者の動向にも影響を与えた。二十八年下半期は、新たに人造米製造に名乗りを上げる事業者が続々と現れた。中には、年が明けてようやく稼動できる態勢に入った工場も少なくない。これからという段階に辿り着いたところで、雲行きが怪しくなってきた。情勢を見極めようと、本格稼動を見合わせる事業者も相次いだ。
人造米の先行きを不安視する声が広がり始めた一方で、楽観的な見方をする者も少なくなかった。年が変わる頃から売れなくなったのは、正月の餅が影響しているとの声も聞かれた。また、主食の米が不足しているという厳然たる事実がある以上、売れ行き不振は一時的な現象にすぎないと見る向きもあった。倉地友次郎や竹内寿恵も、そうした前向きな見通しを抱きながら、生産設備の増強を進めていた。
昭和二十九年一月に一気に下降した売り上げは、二月から三月にかけて持ち直しを見せた。不振は一時的な現象との見方に軍配が上がり、生産者は安堵した。ただ、この持ち直しの背景には、関係者らの懸命の取り組みがあった。消費者を対象にした試食会の開催、米屋など販売業者への売り込みの強化、あるいは業務用米として新たな販路を開拓すべく営業活動を続けたことが功を奏した結果でもあったのだ。裏を返せば、必死の販売努力によって何とか売り上げの下落を食い止めたということである。消費者が進んで人造米を買い求めていた「人造米ブーム」の退潮は明らかだった。事実、三月以降は再び売り上げが下降線を辿ることとなる。
政府は、人造米の前途に不安を抱きながらも、普及を進める方針は堅持していた。そうした政府の姿勢をこき下ろす議員もいた。
参議院議員の河野謙三は、二月十八日の農林委員会で、人造米の現状について報告した前谷食糧庁長官をこう言って突き放した。
「私は人造米については、大体幾ら見通しの悪い政府でも見通しはついて退却の準備をしておられると思ったが、まだそんなに囚われておられるのですか。しからば、現在までやっておる人造米の工場の採算はどうなっておりますか。私は、採算は合わないと思うのです。さらに、将来もっと合わないと思うのです。それは面子に囚われる必要はないのじゃありませんか。私は退却の準備如何ということを聞いているのだが、あなたは退却どころか、生産の速度は鈍いが進むのだということを言っておるが、これは進むと退却とは大変違うのですよ」
前谷は、「退却の準備とおっしゃられますが、我々が当初に計画いたしました数量というものからの退却の準備という御意味ですか、あるいはまた全部放置してしまえという御意味ですか」と反論を試みるも、人造米が不振に陥っているという事実を否定することはできなかった。河野の痛言に対しては、「これはいろいろ見方があろうと存じますが、我々としては需要に応じてやはり慎重に、それから確実にこれはやって参らなければならんということは十分承知いたしておるわけでございますが、その後から見ますると、大して設備は増えておらないというのが現状でございますが、もちろん御注意のような点は需要の関係とも併せて、これは慎重に考えて参らなければならんということは十分考えております」と述べるのが精一杯だった。
その後も、議員たちから人造米に対する厳しい発言が相次いだ。前谷は、一貫してその矢面に立たされた。
「人造米に関しては多くの人が疑惑と疑念とを持って、積極的な賛意を表している人は一人もなかったと思うのです。《中略》私は葛原工業の人造米を食べてみて、大変おいしいかどうかわからないけれども、とにかく食べてみた。大体投機的な商売人の手に委ねられていた以上は、どうせ儲けるために製造するというのが目的であるから、初め大臣の口なり、食糧庁長官の口に運ぶときには良い製品をつくり、一般市場に出すときには悪い製品をつくって儲けようとするのは決まっている」(戸叶武委員)
「私も秋頃盛んに人造米に対して反対したのですが、あのときも話しましたが、人造米を食った我々の経験から言つて、麦に勝るとは言えない」(上林忠次委員)
「人造米について私も実は非常に異議を持っております。ただ今お聞きのように、農林委員会としては全面的に賛成された方を私知らないのです」(宮本邦彦委員)
この日、質問に立った委員らの結論は一致していた。すなわち、政府による人造米生産者に対する支援は一切やめるべきだと。