日本帰国。そしてヨーロッパから撤退。 | 土井雪広オフィシャルブログ Powered by Ameba

日本帰国。そしてヨーロッパから撤退。

ドイニスタの皆さんおはようございます!

僕は今新東京国際空港=成田空港に到着し、次の行き先である仙台空港に向け搭乗待ちしているところです。
日本は先日の台風により、各地で被害が出たようですが、皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?

僕は世界選手権を終え、3年住んだ家の片付けに追われ、庭の掃除、家具等の処分、体中打撲したような痛みに襲われています。
普段使わない筋肉を使ったからでしょうね。


時には庭師に変身することもありますが、芝刈り機、壁として生えている?ジャングルを坊主頭で言えば5分刈りのように綺麗にカットしている時は、自転車ロードレースで鍛え上げられた爆発的な集中力を発揮し、重たいマシーンを振り回し、乳酸が腕にたまろうが、限界まで追い込んでしまいます。


これはまさに追い込むことに快感を覚えるある種の病気なのかもしれませんね。笑  いやらしく言えば、ドMなんでしょう。


そんな追い込みの甲斐ももあり、家の片付けは3日間で綺麗さっぱり何もなくなったのでありました。


荷物の中にはこの8年間でたまった思い出が沢山詰まっていて寂しさに凹む想いもあります。


ベットマットには「ひろせ!」と書いてあったり、今まで食卓を飾っていたダイニングテーブル通過していった選手の名前を挙げれば意外といるんです。

初代


狩野選手(現チーム右京)ドーピングコントロールで捕まってしまったステファンシューマッハーとマイケルジャクソンの歌で盛り上がりながらビールはどこに売ってるんだー!と怒りを爆発させ、当時ド田舎の町(街名Wierden)を愛車のメルセデスで走り回っていた記憶がある。
どこに行ってもラテン系のノリでチームのムードメーカー的な存在だった狩野選手。酒を飲んだら噛みついてきます。
大先輩をこんな形でブログに登場させるのは気が引けますが、自慢の前歯を武器にし、狩りをする猛獣と同じく本能的に噛みつかれ、腕が負傷したこともしばしば。これ以上書いたら会えなくなってしまうのでこの辺にしておきましょう。笑

山本雅道選手  ビックタレントと言われ、僕の憧れの選手でもあった雅道選手。僕が高校生の時、日本選手権を制しファンライドの雑誌のインタビューでも証拠が残っている。

インタビューアー「憧れの選手は?」

僕「野寺秀徳選手と山本雅道選手」


こんなコメントを僕が17歳の時に残しています。後に世界選手権の日本代表としてフランスプルエーに遠征したとき、同じ日本代表として雅道選手がU23の代表で、僕は目を輝かせながら観察していました。後にジャージを頂き、それは今でもとってあります。

こんないいストーリーを話している僕ですが、後に台風はやってきます。 大学のタイトルをほぼ獲得し、調子に乗りまくっていた僕。
悪く言えばただの生意気野郎。
そんな状態で入った憧れのシマノレーシングチーム。もっと調子に乗るのは目に見えますよね。笑
僕自身きっかけは覚えていませんが、ある時を境に一言も話さなくなります。きっと生意気を僕が言ったんでしょう。
結局何が言いたいかというと、2005年、同じ屋根の下で暮らしていたのにもかかわらず、一言も話さず、トレーニングも別、徹底して仲良く出来ませんでした。笑  ←あえて(笑)つけます。

憧れで始まり、生意気な僕にぶち切れ険悪な仲に発展し、それから楽しく酒を飲み交わすこともなく僕もいつの間にか29歳。
素敵な結婚をし、幸せに暮らされていますね。お世話になりました!


品川選手(現愛三工業レーシングチーム)  品川さんも初代の田舎暮らしのメンバー。ヨーロッパに渡った当初はインターネットが無く、二人で電話線の取り合いをしながら、「ピープルプルポー」というデーター発信音を家中に響かせ、ストレスの貯まる生活を共にしました。
アンチョビと唐辛子が大好物の品川さん。 トレーニングをほとんどしなくてもツールドベルギーなどの石畳のレースで普通に20位以内などの結果を残し、あり得ないポテンシャルの持ち主だった。
僕も品川さんも車が好きだったことから、当時の監督だった今西さんの目を盗み、チームカーでラリーのまねごとをして、スポンサー名が見えないほど車を泥まみれにし、レース会場でもう一人の監督だったピットに怒られた。笑 当時僕は21歳。右も左もわからないただの生意気野郎。
娯楽のないオランダでストレスを発散するために発見した僕らの娯楽は、ただチームカーを泥だらけにする泥遊びだった。笑。

そんな品川さんももう31歳。


こうやって書いてみると書ききれないほどの記憶が沢山蘇りますね。

苦労が多かったからこそ残る記憶。

苦労が多かったからこそ後から笑える思い出。

なんだかんだいろんな苦痛はあったけど、最初の1年目が一番苦痛だったな。


恐らく最初の1ヶ月は、トレーニング後のご飯が毎日インスタントのラーメンに卵とタマネギを入れた物を食べていた。(サッポロ一番塩ラーメン)ヨーロッパと日本の文化の違いからくるストレスで何もする気になれなかった。

初期の大変な時の事だけを書きましたが、

後にやってきた選手も多数。


野寺選手(現 シマノレーシング監督)

大内選手(現 株式会社シマノ勤務)

廣瀬選手(現 宇都宮ブリッツェン)

畑中選手(現 シマノレーシング)

村上選手(現 バイクショップYOUCAN勤務)

島田選手(現 株式会社シマノセールス勤務)

平塚選手(現 シマノレーシング)

阿部選手(現 シマノレーシング)

青柳選手(現 シマノレーシング)


一番最初にオランダにやってきて結局最後までオランダに残っていたのは僕だけだった。笑

家の準備をしたのが2005年。

そして2012年綺麗に家の片付けを行い8年にわたるオランダ生活に幕が下りたのでありました。


さぁファンの前に姿を見せるのが待ちきれない感じですが、今年はできる限りアルゴスシマノの日本チャンピオンジャージ姿でイベントレースに参加し、シクロクロスも参戦します。スペアバイク、メカニックも雇うとか?
今年はまだまだ終わりませんよ(^_-)


いろいろと時間がなく、ブログを書くのが大変ではありますが、更新が減っても変わらず見に来てください(^^)


ではでは皆さん様々な会場で会えること楽しみにしています(^^)

ちゃお