仕事で1週間ほど阿寒湖のカムイルミナの通訳を担当し、その前後に釧路に立ち寄り、釧路駅から、かつてあった初代浜釧路駅(1917までは初代釧路駅、1962-89は釧路工場の一部)へ伸びる貨物支線の廃線跡を確認しました。


和商市場の横の道がそれです。


私が釧路に住んでいたのは1975-1978ですので、その時はこの線路とこの先の車両工場があったのはなんとなく覚えています。


和商市場の勝手丼もチェック。


釧路はもちろん炭鉄港のエリア外ですが、同様に雄別炭鉱、雄鉄線や臨港線、もちろん釧路港と、独自の炭鉄港的な機能がありました、これが漁業や製紙産業などと有機的に関係しているユニークな文化がありました。


まだまだ私は釧路は詳しくないですし、そんなに多くは行けませんが、今後立ち寄る度に記録を残していきたいです。





駅構内から眺めた、貨物支線の廃線跡と思われるところ。今は草が下がり資材が積まれています。